祇園祭を支える人々の想い

〈2021祇園祭〉祇園祭「鷹山」復興の軌跡、ゼロから作り上げた囃子方の情熱

■鷹山囃子方代表 西村健吾さん

「コンチキチン」で知られる祇園祭の囃子。山鉾ごとに異なる曲で、個性豊かな韻律を奏でる。各山鉾に受け継がれてきた囃子は、祇園祭ならではの魅力のひとつだ。しかし鷹山は江戸時代に失われて以降、一つの曲も残されていなかった。文字通りゼロから、鷹山の囃子を作り上げてきたのが囃子方代表の西村健吾さん。「鷹山の囃子は、とにかくパワーがすごい」と話す。

鷹山囃子方代表 西村健吾さん

鷹山がある衣棚町で代々から続く寿司店を営む西村さん。小学5年生で北観音山の囃子方に加わり、20代までは鉦を、以降は笛を演奏してきた。「鷹山の囃子を復活させるのは、お前しかおらんやろう-」。山鉾連合会の元理事長・吉田孝次郎さんの言葉に背中を押され、2014年の設立から鷹山囃子方を率いる。

友人知人に声をかけ、当初はわずか8人で始めた。西村さん以外は皆、初心者ばかり。「みんなで1万円ずつ出し合って笛を買い集め、まずは北観音山の曲を使わせていただいて練習しました」。回数を重ねるうち、一人、また一人と仲間が増え、今では小学生から大人まで総勢50人の大所帯に。「鷹山らしい囃子」を目指して研究し、力強い演奏が魅力の「鷹」など約30曲を独自に考案した。

「囃子は、掛け声やお互いの間が大切」と話す西村さん。笛を太鼓に持ち替えて、さらなる稽古に励む。「自分が練習している姿を見せることで、伝えられるものがあると思う」。仲間と奏でる囃子への情熱は、どこまでも深く、ますます熱くたぎっている。

疫病退散を祈る祇園祭。昨年に続き新型コロナウイルスの影響から、山鉾巡行や神輿渡御は中止となりました。平安時代の御霊会から千年を超えて続く祇園祭は、幾度もの災禍を乗り越え、その姿を変えながらも歴史をつないできました。来年は約200年ぶりに復原された鷹山が巡行復帰を予定しています。変化の時代にあって、歴史を守り伝えるために。祇園祭を裏方として支える人々の、新しい挑戦が始まります。
〈文/龍太郎〉

不自由な時代だから、寄り添う「祈り」を大切に

八坂神社権禰宜(ごんねぎ) 東條貴史さん

新型コロナの収束が見通せない中、今年も神輿渡御は中止としました。しかし、疫病退散を祈るという本義を守るため、昨年と同様に、榊を白馬に乗せた「神籬(ひもろぎ)」によって御旅所まで赴き、御神霊をお祀りします。
869(貞観11)年の「祇園御霊会」以来、幾多の困難を乗り越える中で変化を経て、今日まで祇園祭は続いてきました。昨年は本殿が国宝となる慶事もあり、改めて、祇園祭を通した氏子とのつながりの深さを感じています。
人々をつなぐ要として、新型コロナ禍で不自由な生活を強いられる方々に寄り添うような「祈り」を届けたいと願っています。

いつの時代も祇園祭とともに、文化と技術の継承こそ責務

祇園祭山鉾連合会 理事長 木村幾次郎さん

祇園祭を引き継いでいくのは、何よりも「人」です。縄絡みと呼ばれる伝統的な技を用いる山鉾建てをはじめ、次の世代の人たちへ技術や文化を継承して行くことは、祇園祭に携わる人間の責務です。2年続けて山鉾巡行は中止となりましたが、技術継承のため、山鉾建てについては行うことにしました。
京都の町並みがどれほど変わろうとも、祇園祭の山鉾は変わりません。来年は鷹山が後祭巡行に復帰し、全34基で山鉾巡行を行う意義深い年となります。
いつの時代にあっても、皆さまに祇園祭を見て頂けるように。変化を受け入れながらも、変わらないものを大切にしたいと思います。

(2021年7月9日発行 ハンケイ500m vol.62掲載)

<わたしたちは祇園祭を応援しています>