祇園祭を支える人々の想い

〈祇園祭2020〉「非合理さえも伝統です。『京都の遺伝子』を守り続けたい」

山鉾巡行を支える、経験したからこその気配り。
長刀鉾保存会 稚児係
井尻浩行さん


祇園祭の山鉾で今も唯一、生稚児(いきちご)を乗せる長刀鉾。前祭巡行では「注連縄(しめなわ)切り」の役目を担い、23基の山鉾を先導する。自身も稚児を経験した井尻浩行さん(51)は、約20年にわたり世話役の「稚児係」を務める。「稚児に寄り添い、常に安心できるよう気を配ります。大人のペースで進めては上手く行きません」と話す。

長刀鉾稚児係の井尻浩行さん(撮影/井上成哉)

幼少から祇園祭に親しんできた井尻さん。小学3年で長刀鉾囃子(はやし)方に加わると、「久しぶりの小さい子」と周囲の大人たちに可愛がられ、翌年は稚児に大抜擢。「冠の紐が顔に擦れて痛かったことや、体を締め付ける帯の感触を、今も覚えています」と懐かしむ。
結納、お千度、社参の儀―。八坂神社の神の使いである稚児は、祭の期間を通し多くの行事が待っている。稚児を務める子どもにとっては、全てが初めて。何のためにやるのか、分からず戸惑うこともある。それでも、ともに行事を経験するうち「段々と度胸がついてくる。表情や所作が変わってきます」という。

前祭の山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾(2019年7月17日撮影)

そして7月17日、いよいよ山鉾巡行の朝を迎える。見物客の喧騒が届く会所の2階を、先に鉾へと向かう囃子方らが次々と出て行く。慌ただしい雰囲気だった会所に、ひととき静寂が広がる。井尻さんと稚児、2人だけで過ごす特別な時間だ。「今か今かと待たれている緊張感で、胸の中はざわざわしています。それでも、稚児を不安にさせたらあかん。時間にして大体3分間ほど、何でもないような話をして過ごします。いつもと同じ調子で『行こかぁ』と一声かけて、それから一緒に階段を降りて行きます」。

山鉾巡行の当日、稚児はきらびやかな「花天冠(はなてんかん)」を頭に載せる(撮影/Yuya Hoshino)

強力(ごうりき)の肩に担がれた稚児はもはや凛々しく、沿道の視線を集めて鉾に乗り込む。「エンヤラヤー」の掛け声で鉾が動き出すと、いよいよ祇園祭のハイライト、山鉾巡行の幕が開く。

巡行中は陰ながら稚児に寄り添う(撮影/田口葉子)

「稚児は貴重な体験です。一見、非合理な行事でさえも、祭の伝統。その時は理解できなくても、後になって分かってくる。そんな『京都の遺伝子』を守り続けたい」。町並みは大きく変わっても、耳に響く囃子の音は変わらない。稚児として注連縄を切った夏から40年。井尻さんの心に映る、伝えたい京都の景色がある。

長刀鉾の上で「太平の舞」を披露する稚児。後ろから支えているのが井尻さん(撮影/田中隆司)

■祇園祭の神髄である「祈り」を大切に
八坂神社権禰宜 東條貴史さん

祇園祭は869(貞観11)年、当時流行していた疫病を鎮めるため「祇園御霊会」として始まりました。疫病退散を祈る祭礼であり、八坂神社にとって特別な意味を持ちます。今年は新型コロナウイルスの状況を踏まえ、神輿渡御と山鉾巡行が中止となりました。しかし、祇園祭は過去にも災害などで中断し、その都度、復興してきました。未曾有の状況ですが、祭の神髄である「祈り」を途切れさせてはならない。神職の務めは、神様と人々の仲執り持ちです。今年から始めたSNSを通し、皆様に祈りを届けたいと思います。 

■500年続く山鉾巡行、京都人の知恵をつなぐ
祇園祭山鉾連合会 理事長 木村幾次郎さん

祇園祭は、各山鉾の保存会が独自に行事を担います。今年は新型コロナウイルスの状況から、各保存会の神事のみ「3密」を避けて行います。山鉾巡行は、八坂神社の神幸祭、還幸祭に伴う「風流(ふりゅう)」です。山鉾で人を集めて楽しませると、神様が喜ばれる。人を集められない状況では、本来の意味を果たせない。約500年続く山鉾巡行は、それ自体が京都の文化です。山鉾に使うわら縄を作るために、まず稲を育てる。様々な人が祇園祭に関わり、京都人の知恵が蓄積されています。今年はエネルギーを蓄え、来年へとつなぎます。


夏の京都を彩る祇園祭。今年は新型コロナウイルスの影響で、神輿渡御は74年ぶり、山鉾巡行は58年ぶりに中止となりました。平安時代、各地で流行した疫病を鎮めるための御霊会を起源とする祇園祭は、千百年を超えて、京都の人々が守り伝えてきました。その歴史は、裏方として支える人々の情熱の蓄積でもあります。祇園祭を、次へとつないでいくために。今、伝統を受け継ぐ職人たちの言葉が紡ぐ、祇園祭の夏が始まります。
〈文/龍太郎〉

(2020年7月10日発行 ハンケイ500m vol.56掲載)

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