祇園祭を支える人々の想い

〈祇園祭2021〉「鷹山」約200年の時を超え、山鉾巡行に来夏復帰へ

2021年5月下旬、京都府京丹波町。早くも梅雨入りを告げるように、ぬるい風が田園地帯を渡っていく。一角に所在する「安井杢(もく)工務店」の作業場内はその日、ひそやかな興奮と熱気に満ちていた。

3階建てに組み上げられた足場を見上げると、作業場の天井ぎりぎりの高さから白木の大屋根がのぞいている。胴体の四方にかけられた懸装品の水引は、絹糸の一本一本まで瑞々しい。舞台には3体の御神体人形と、鷹と犬。野山で獲物を追う鷹狩そのままに、生命が躍動する瞬間を描き出している。
相次いだ災禍による消失から約200年。途方もない歳月を超えて、まさに天を衝くほどの存在感を放つ「鷹山」が今、静かにその時を待っていた。

時計の針は、9年前に巻き戻る。災禍を免れた鷹山の御神体を祀る「居祭」が続く衣棚町で、ひとつの未来を思い描いた人たちがいた。鷹山の歴史を研究していた自転車店主の八田章さん、江戸期に鷹山を守った家の当代である西村吉右衛門さん、そして、後に鷹山保存会の理事長となる山田純司さんと、囃子方(はやしかた)代表を務める西村健吾さん。
最後の巡行となった1826年から200年の節目に鷹山を復興し、再び山鉾巡行へ復帰しよう-。壮大な夢に向かって、ここから鷹山の挑戦が始まった。

イラスト:中川未子(よろずでざいん)

文献や史料から往時の鷹山を学ぶ勉強会を重ねるうち、次第に夢の輪は広がり始める。「動く美術館」とも呼ばれる祇園祭の山鉾は、各々の町内が競い合うように飾り、各自の創意工夫で進化してきた。本来、各山鉾はライバル同士の関係だ。
しかし、残された手がかりを頼りにゼロから復原を目指す鷹山を、他の山鉾が陰で支えた。車輪や石持など山の部材やその構造について。あるいは、巡行での見せ場、山鉾が方向転換する「辻回し」の技法について。他の山鉾の後押しを受け、夢はひとつずつ形になり始めた。

2019年唐櫃にて巡行参加(撮影:大道雪代)

祇園祭が、本来の姿を取り戻す。山鉾巡行が前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれたことを機に、復興への思いはさらに加速する。2014年に鷹山囃子方を設立。わずか8人でのスタートだったが、巡行に欠かせない祇園囃子が町内に響き始める。
他の山鉾の囃子を参考に、手探りで稽古を続ける日々。その積み重ねが鷹山ならではの囃子を育て、その響きが祇園祭に憧れる人たちを引き寄せた。今や約50人の大所帯で、町内外のメンバーが息を合わせて囃子を奏でる。目前の出番を控え、鉦(かね)、笛、太鼓が重なる囃子はいよいよ賑やかだ。音色を運ぶ風は熱を帯びて、次の季節の到来を予感させる。
夏が、確かに近づいている。

疫病退散を祈る祇園祭。昨年に続き新型コロナウイルスの影響から、山鉾巡行や神輿渡御は中止となりました。平安時代の御霊会から千年を超えて続く祇園祭は、幾度もの災禍を乗り越え、その姿を変えながらも歴史をつないできました。来年は約200年ぶりに復原された鷹山が巡行復帰を予定しています。変化の時代にあって、歴史を守り伝えるために。祇園祭を裏方として支える人々の、新しい挑戦が始まります。
〈文/龍太郎〉

鷹山保存会 理事長 山田純司さん

小学生の頃、囃子方として山鉾に乗っている同級生が羨ましかった。「御神体があるなら、復活させたらいいのに」。子ども心に抱いた憧れが隠れた原動力。困難にも「乗り越えたらまた一歩、夢に近づく」という思いで、鷹山に関わる人々を束ねてきた。巡行中止を経て「疫病退散を祈る」祇園祭の原点に、改めて思い至った。「これで完成、ということではない。ここから始まる、という気持ちです」

北観音山保存会 理事長 川下明利さん

鷹山を復興させたいという強い思いを持って、北観音山の囃子方から移った方々の尽力もあり、来年に巡行復帰を迎えられることは何より楽しみです。私自身、小学5年生から北観音山の囃子方に入って約60年、祇園祭に関わっています。鷹山の囃子方が始まって間もない時期、初心者の方が北観音山の稽古に参加されたこともありました。
とはいうものの、やはりライバル同士。来年の後祭巡行では北観音山の後ろを、鷹山が進みます。夏空の下、お互いに最高の囃子を響かせたいものです。

放下鉾保存会 理事長 川北昭さん

祇園祭の継承にあたって、山鉾の維持管理を担う保存会の責務は大変重いものです。鉾の部材ひとつでも10年後、20年後を見据え、着実に準備しなければなりません。昔を今に伝え、今を未来へと伝える。同じく祇園祭の伝統を守る者として、鷹山を応援させて頂く気持ちです。
放下鉾では現在、約250年前の水引の幕を復元新調しています。時間も費用もかかりますが、その繰り返しが祇園祭の歴史でもあります。完成の暁には、晴れて祇園祭を迎えられることを祈っています。

船鉾保存会 代表理事 辻建次さん

一口に「祇園祭の伝統」と言っても、その中には奥深い歴史や多様な文化が脈々と息づいています。船鉾が所蔵する鎧冑を修復のために調査した時、小さな金具が大変古いものであることが判明し、大変驚きました。細部にこそ歴史が宿っています。
船鉾は「車方」の技術継承として、巡行に復帰される鷹山の方々と交流する機会を持ちました。文化を学び、歴史を守るためには、経験の蓄積が欠かせません。祇園祭の歴史を、ともに未来へ繋いでいければと願います。

(2021年7月9日発行 ハンケイ500m vol.62掲載)

<わたしたちは祇園祭を応援しています>