
「僕の料理は、その人の瞬間的な記憶に残りたい。そのために、なんでもする」
美山とつながる、ジビエが得意なレストラン。
Ristorante Miyama162 オーナーシェフ 神田風太
■ご贔屓したら一生続く
店の名が京都と美山をつなぐ国道162号線に由来していると気づいたあなたは、勘がいい。美山で育った神田風太さんが2018年に開いた「Miyama162」。看板料理は野生動物の肉を扱うジビエだ。
「猟師さんには美山のどこで獲れたかを必ず聞きます。たとえば芦生原生林(あしうげんせいりん)なら杉林がなくて、むかしのままの姿だから植生が豊か。7月、タラやコシアブラの新芽を食べた夏シカはとびっきりの味わいですよ。脂身がすごくいい」。
ジビエは育った環境、時期、そして個体差によって味が違う。食肉の安定供給を目的とした家畜ではないからこそ、料理人の目利き力が必要となる。
10年ジビエを扱って、少しずつわかってきました。でも料理人はキッチンだけにいてはいけない。美山に帰ったときは食べ方を教えてもらいます」。

■野球選手をあきらめて、美山と祇園で修業
神田さんがここ北山に店を構えるまでの経緯はドラマティックだ。2005年の甲子園で京都外語大西高校が準優勝したのを覚えているだろうか? 神田さんは当時の野球部に在籍していたが、高校1年で中退。なぜなら海外で投手のプロテストに合格したからだ。16歳で単身ドミニカ共和国に渡る。カナダ・バンクーバーとニューヨークでプロを目指すが、メジャー契約には至らず、19歳で「野球をあきらめるために」帰国した。
このとき飲食店でバイトをしたのが契機になった。野球をしていたとしても、一生選手ではいられない。「手に職をつける」必要性は以前からわかっていた。19歳のとき、摘み草料理で知られる美山荘で働き始め、ジビエと出会った。
23歳のときに祇園のワインバー「Cheri(シェリ)」で勤めた。花街のお客さんに、神田さんは鍛えられた。
「祇園はがんばるほど、自分に帰ってくる街。不義理をしたらそれまでですが、ご贔屓(ひいき)したら一生続く。その方の好みを覚えてお出しすると、味覚と心にハマる瞬間がある。楽しくて、中毒になります」。
27歳で北白川「プリンツ」でのシェフを経て、29歳で独立。魚を仕入れている上賀茂魚伊さんに「隣の店が空いたよ」と誘われたのがきっかけだ。祇園とは異なる、郊外ならではのゆったりとした店の空間を一目で気に入った。

■料理が、その人の記憶に残るために
神田さんはイノシシの炭火焼はもちろん、パン、デザート、燻製バター。店で出すものはできるだけ自分で作る。
「おいしい料理はごまんとあるけれど、僕は、その人の瞬間的な記憶に残りたい。そのために、なんでもする。お客様には食べたいものを食べてほしいですね」。
野球と花街を経て、料理というものの奥深さに没頭する30歳。コース料理に込められた神田さんの全力投球は、ゆっくりと味わいに行く価値がある。
(2020年1月10日発行ハンケイ500m vol.53掲載)

Ristorante Miyama162
▽TEL:0757230558
▽営業時間:12~15時(L.O.13時半)、17~22時(L.O.20時半)
▽不定休

