
「体力とガッツがすごい。あんな70代、見たことありません」
おばあちゃんが70歳から開業した、おはぎ屋。
巴屋 販売担当 湯上久雄
■人と人をつなぐ、最高の遺産。
「おはぎ」とひらがなが染め抜かれた布が掛かった小さな店舗。地元で有名なのだろう、ひっきりなしに客が訪れる。
「せっかく開いてるから、買うてこ。あんこときなこ、2つ」、「うちはあんこ4つ。すいません、お先です」。
にこやかに挨拶をして去っていくのがいかにもご近所さんらしい。
巴屋の名物は「おばあちゃんのおはぎ」。濃紫色のぼってりとしたあんこが後ひきだ。小ぶりでペロリ。田舎臭さがまったくなくて上品。家庭的な親しみやすさと折り目の正しさが共存している。

■70歳で開業「おはぎを売ってみよう」
残念ながら「おばあちゃん」こと湯上達枝さんは、2017年2月に100歳で人生の幕を閉じた。しかし巴屋のおはぎは、おばあちゃん抜きでは語れない。
1917年生まれの達枝さんは、北陸の石川県出身。この時代に70歳の定年退職まで関西電力で勤め上げたというから恐れ入る。今でいうキャリアウーマンの先駆けだ。付け加えるなら夫を早くに亡くし、5人の娘と息子1人、計6人の子どもを育てたシングルマザーでもある。

退職後、達枝さんは、自分で作るのが好きで、周囲の評判がよかったおはぎを「売ってみようか」と思いつく。70歳で保健所に掛け合って、許可を取った。
「とにかく元気で行動力のある人でした。学生時代は砲丸投げの選手だったそうです。繁忙期のお盆は早朝から晩まで作って売るんですが、そのまま最終の雷鳥に乗って、石川の実家までおはぎを届けにいくんです。体力とガッツがすごい。あんな70代、見たことありません」
誇らしげに話すのは孫の久雄さんだ。

■3人家族のリレー、縁日は娘も集合
達枝さんは80を過ぎて、心身の衰えが見られた。あんの入った重い鍋の上げ下ろし、店番。そばにいる家族が、おはぎづくりを自然と手伝うようになった。
現在は長男の正敏さんと妻の幸子さん、孫の久雄さんの3人で店をリレーする。おばあちゃん直伝のあんは「だら炊き」、10時間以上だらだら時間をかけるのが味の秘密だ。夕方17時から深夜0時までは久雄さんが番をする。そこから正敏
さんが引き継いで味を決め、早朝4時にあんが炊き上げる。朝、幸子さんがもちをあんでくるみ、おはぎにしていく。日中の販売は久雄さんの担当だ。
毎月21日、東寺の弘法大師の縁日でおばあちゃんのおはぎは飛ぶように売れる。この日は近隣に住む、達枝さんの70代の娘たちが手伝いに集まってくる。
「叔母たちは元気で、おしゃべりです。縁日の日はそりゃもうにぎやかですよ」。
久雄さんと話して気づいた。そうか、おはぎはただの甘味じゃない、おばあちゃんの遺産だ。達枝さんは、家族と親戚、さらにご近所さんがゆるやかにつながる絆を残してくれた。濃紫の礫(つぶて)、やさしくい味の芯にあるものがわかった気がする。
(2017年7月10日発行ハンケイ500m vol.38掲載)

巴屋
▽TEL:0756717040
▽営業時間:10時~売り切れまで
▽定休:水、木(※お盆、お彼岸、毎月21日は営業)

