
「商売抜きで会いたい人がいるから、メニューを絞れないんです」
瓢亭で修行後、家業の食堂を継いでうなぎ屋に。
うなぎ料理 美登利 店主 松浦一彰
■甘さを控えたタレは、父からの伝授。
『ハンケイ500m』恒例、編集部の街歩き。バス停東寺東門前に降り立った編集Nの、職人の探し方を教えよう。
東寺界隈、路地の隅まで歩きまわるうちに、庶民向けスーパーの2階にうなぎ屋を見つけた。「この立地でうなぎ屋?」、疑問のままにNは早速入店、お品書きを見やると、価格の差がすごい。月見うどん550円の隣にあるのはうなぎ定食3800円。
「うなぎ定食1食で、月見うどんが約7杯も食べられるではないか!?」
さりげなく店主と会話を重ねると、京都の料亭として名高い、かの瓢亭(ひょうてい)で修行した経歴とわかる。「この職人さんの話を、もっと聞きたい!」、かくして、Nの取材ノートには二重丸がつけられる。

■創業者は祖母 父の言葉で瓢亭へ
うなぎ料理美登利の店主は、松浦一彰さん。美登利の前身であるみどり食堂を1952年に創業したのは、一彰さんの祖母、ミサヲさんだ。
「創業してしばらくみどり食堂はかき氷とおうどんの店でした。スーパーの前、丸十市場の時代です。いつからかは覚えていませんが、気づいたときには父も一緒に店を切り盛りしていました」。
一彰さんは、1963年生まれ。「いずれ後を継ごう」、そんな思いをもって訪れた高校の進路相談室で、瓢亭の求人票を見つけた。料理人である父の章介さんは数々の食堂で腕を磨いた人物だ。父の「瓢亭ならまちがいない」の一言に背中を押
されて、就職を決めた。
「瓢亭たまごに八幡巻(やわたまき)。瓢亭では全部1からつくりますから、なんでも勉強させてもらいました。うずらの下ろし方などは、先輩が教えてくれました」。

■常連さんのために残したいメニュー
1985年、ミサヲさんからの代替わりに合わせて、父の章介さんはみどり食堂を和風レストランに方針変更。そのタイミングで、一彰さんは瓢亭での4年の修行を終えて家に戻った。一時は、祖母と父と一彰さんの3代で店に立った。
1996年、1階の丸十市場がスーパーに買収されたのを機に、うなぎ専門店に鞍替えしたのは一彰さんだ。うなぎは、父章介さん伝授の腹開きの地焼き。半助(うなぎの頭)でとる出汁を合わせたタレは、極力甘さを控えている。

うなぎ専門店となって20年が過ぎ、お客さんの大半がうなぎ目当てになった今も、残したいメニューがある。
「月見うどんは近所のおばあちゃん、かつ丼はサラリーマン風のあの人。商売抜きで会いたい人がいるから、もうこれ以上メニューを絞れないんです」。
うなぎに月見うどん。一風変わったお品書きは、65年の歴史を背負う店ならでは、常連さんの顔の見たさゆえだった。「この職人の話をもっと聞きたい」、Nの見立てどおり、情にあつい作り手に、また一人出会うことができた。
(2017年7月10日発行ハンケイ500m vol.38掲載)

うなぎ料理 美登利
▽TEL:0756826222
▽営業時間:11時〜15時、17時〜23時
▽定休:8日、17日、18日、28日(7月は無休)

