<出会う>京都のひと

「そば打ちの気持ちが整わない日は、店を休むこともあります」

そば教室も営む、信州・戸隠流そば打ち処。

實德 そば打ち職人 粕谷俊明

■それぞれが自分のそばを追求すればいい。

戸隠(とがくし)流そば打ち処、實德(みのり)。「そば処」と銘打つ店は多いが、實德が「そば打ち処」と名乗るのには理由がある。店内の大きな一角を占めるそば打ち場、壁には弟子たちの名前札がかかっている。

「そばを打つ人が集まればいいという思いで、そば打ち処と名付けました。学んだ人たちは200人を超え、卒業生の店は10店舗以上。でも、味はバラバラ。基本はここで学んだあと、それぞれが自分の求めているおそばを出せばいい」。

それが、教え手であるそば職人、粕谷俊明さんの方針だ。

戸隠流に盛った、ぼっちもりのざるそば。今のそばにたどりつくまでには、何年かかったのだろうか?「今日お出ししたおそばは、今日までかかって作ったものだから。回数や時間じゃなくて、今日までの積み重ねの表れなんです」

■けがで電器屋を断念 戸隠のそば屋に転身

實德は粕谷さんの生家で、もともと父親は電器屋を営んでいた。家業を継ぐために、粕谷さんは大阪電気通信大学高等学校に進学。そののちに「街のでんきやさん」を育成する1年全寮制の専門機関、松下電器商学院(現・松下幸之助商学院)で技術と精神をしっかり学んだ。

しかし20代のときにスキーで右膝を痛めたのが災いする。

「電器屋は肉体労働です。膝のけがで、屋根に上ってのアンテナ交換が難しくなった。親父と2人で店を切り盛りできるあいだはいいけれど、将来的にひとりでやっていくのは難しいとわかりました」。

結局、2代目を継いだ電器屋は12年目で廃業した。なぜ蕎麦屋へ転身したのか? つなぐのは趣味のスキーだ。

「高校の頃からスキーが大好きで、常宿にしていた戸隠で食べたそばが感動的でした。京都のそばはやわらかいけれど、信州のそばには独特の食感があって、麺自体に味があった。戸隠のそばを知って以降、趣味でそば打ちを始めていました。そのそばが、評判がよかったんです」。

鮮やかな手つきでそば粉をこね上げ、包丁で切っていく。「そば粉に空気を混ぜ込むようにこねるのです」。

■「気持ちよくつくりなさい」精神のコントロールが大切

ものづくりが好きな粕谷さん、寝かす必要のないそばは性に合った。高校時代から親しんだ戸隠の常宿「山里」で1年8か月修業をしたのちに、1994年、實德を開いた。そば教室の方針は、山里の師匠、曽根原武彦さんの教えが大きい。

「師匠は『気持ちよくつくりなさいよ』と。うちの教室では生地の硬さを覚えてくれればいい。打つなかでそばも成長、自分も成長する。お弟子さんのなかには、自分よりすごい人がいますよ」。

文字通り読むと、素人流に感じるかもしれない。ところが研究肌で凝り性の粕谷さん、日によって違うそばの加水率を記録し、理想の配合を求めている。

「気持ちよくそばを打つためには精神のコントロールが大事。気持ちが整わない日は、店を休みます。ようやく安定してきたのはここ3年です」。

そばの仕上がりを操作しようとしてもそばに嫌われていいものができないと、粕谷さんは話す。毎日、精神を統一してから、打ち場でのばし棒を手に取る。そば教室を開く彼自身もまた、自分のそばの味を追求し続ける一人だ。

(2017年9月11日発行ハンケイ500m vol.39掲載)

木目調の店内、信州の雰囲気だ。

實德

京都市左京区北白川久保田町57-5

▽TEL:0757223735

▽営業時間:12時~14時、18時~21時半(日祝は12時~ 15時)

▽定休:火