<出会う>京都のひと

「親父が店に立てなくなっても、食パンだけは妻と作り続けます」

10年、20年来の常連さんばかり。家族経営のパン専門店。

白川製パン 二代目職人 渡部邦男、三代目職人 渡辺信弘

■赤ちゃんのように生地を育てる。

1997年から2006年まで放映された、料理バラエティ番組『どっちの料理ショー』を覚えているだろうか? タレントが美食を競い合う内容だ。

「うちはね『どっちの料理ショー』で紹介された影響がまだ続いてるのよ。以来、ずっと予約のお客さんが途切れないまま10年以上過ぎた。テレビってすごいね」。

そう話すのは三代目職人の渡部信弘さん。いえいえ、すごいのはテレビじゃなくて白川製パンの食パンですから! 買った人が次の予約を入れてしまうから、2週間先まで空きが出ない。低温で時間をかけて発酵させたストレートな味わい、皮は硬めで普通の味の凄みがある。まるでお米のように、毎日食べたくなる味だ。

人気の食パン。どっしりとした重みがあり、一日の生産量はたった70 本。灼熱のオーブンの前での仕事は過酷だ。毎週東京や熱海、三重や大阪にパンを宅配便で送る。「一度に何本も買って、冷凍しておいたり、お友達に分けたりするお客さんが多いですね」。

■創業して約90年、家族三世代でつくるパン

さかのぼって1928年、二代目職人である邦男さんの父、久太郎さんが白川製パンを開業した。店内に飾られている創業当時の写真、ひさしには「カルシュウムパン」と書かれている。小学校6年生のときから、邦男さんは店を手伝った。以来、邦夫さんはパンを焼き続けている。

「大正時代、親父は日本で有名なパン職人でした。当時はイーストがなかったから、米こうじでパンをつくっていました。銀座の木村屋だって米こうじでしたよ」。

そう振り返る邦夫さんは御年91歳。おいしいパンのつくりかたを訊くと「赤ちゃんをお母さんが育てるように、パンの生地を育てる。ただそれだけです」。

創業当時の写真。

家族経営の白川製パンでは、邦男さんは今も、妻の好子さんとともに店の奥の工房に入る。パンづくりを熟知した2人は貴重な戦力だ。

「家族だから意思疎通がしやすいよね」と話すのは、黒パンさながらに日焼けした三代目の信弘さんだ。信弘さんは太い腕で、型を次々とひっくり返して、食パンを取り出していく。店頭に食パンを並べるのは信弘さんの妻の牧子さん。二人の娘、邦夫さんから見て孫にあたる松田真子さんも店を手伝う。白川製パンは、三世代の家内制手工業だ。

工房は大忙しだ。

■機械も作り手も年代物 「食パンづくりは続けます」

松田真子さんは「普通の店と違うのは、お客さんとのつきあいがとにかく長いこと。10年、20年来のお客さんもざらです。『あの赤ちゃんがこんなに大きくなったの?』と店番でも話が弾みます」と話す。冗談好きの渡部信弘さんは「機械も3代目。使ってる人間もお客さんも、みんな年代物だよ」とまぜっかえす。

食パンづくりは手間と時間がかかる。毎朝6時前から仕込みに入り、6時間かけて焼き上げる。

「親父たちがいないと菓子パンまでは手が回らない。でも、親父が店に立てなくなっても、食パンだけは妻とやっていきますよ」。この信弘さんの言葉に、どれほどの常連さんがほっとするだろうか。マイブレッド、1斤270円。京都屈指の美味なる食パンはこうして生まれる。

(2017年9月11日発行ハンケイ500m vol.39掲載)

実はコロッケパンもファンが多い。ずっしりとしたボリュームがあり、ライターKも大好物だ。

白川製パン

京都市左京区北白川久保田町64

▽TEL:0757812643

▽営業時間:8時~20時

▽定休:水・木