<出会う>京都のひと

「托鉢だけで暮らす僧侶との出会いが仏道へ進むきっかけでした」

副住職の活躍が光る、歴史ある禅寺。

妙心寺退蔵院 副住職 松山大耕

■人を安心させることが、僧侶の仕事

庭園が有名な妙心寺退蔵院の副住職・松山大耕さんは「観光庁Visit Japan大使」「京都観光おもてなし大使」を努め、前ローマ教皇やダライ・ラマ14世と会見するといった精力的な活動ぶりで知られている。今後の京都の仏教界を率いていく求心力のひとりに数えられる。

寺の子に生まれて寺を継ぐ。その経歴だけを聞けば、敷かれたレールを歩む「お坊ちゃま」を想像する向きも多いだろう。しかし松山さんは、自分で人生を選び取った結果、仏道にたどり着いた。

退蔵院正門。

■尊敬する師との出会い、仏道を志すまで

中学校ではバレー部に所属し、練習に明け暮れた。「このままではスポーツだけで終わってしまう」と、中学3年の若さでアラスカに一人旅を敢行。得たのは英語の大切さと「人生、なんとかなる」という人生観だ。

洛星高校から東京大学で経済を学ぶ文科二類へ進学したのは「京都にいたら井の中の蛙になる」という危機意識があったから。広尾にある光林寺に住み込み、朝5時半に起きて寺のお勤めをしながら、大学に通った。入学後、農学に興味を持ち、3年のときに農学部へ転向した。

修士過程に進学、棚田の研究で訪れた長野県飯山市での出会いが、人生最大の転機になった。豪雪地帯にある妙心寺派正受庵の原井寛道和尚の生き方は、松山さんにとって衝撃的だった。

大耕さんの修行時代の写真。尊敬する長野県飯山市にある正受庵の原井住職は、2015 年惜しまれつつ亡くなった。

「正受庵には檀家もいない、拝観もしてない。托鉢の浄財だけで暮らしていたのです」。

地域の人はもめごとが起きると原井さんに相談した。原井さんの托鉢の声が飯山の街に響くと、人々は安心した。原井さんは当時40代で存命なのに、駅前に銅像が建つほど慕われていた。松山さんは正受庵に住み込み、原井さんの生き方を目の当たりにした。

「こんな素晴らしい方がいる世界はチャレンジしてみる価値があるんじゃないか。仏道に進もうと思いました」。

■修行を経て自坊へ 目の前を大事に生きる

僧侶になるには修行が必要だ。入門が許された道場、埼玉の平林寺で3年半過ごした。そのストイックさは聞いていた以上で「大の男がコーラ1本の差し入れで泣けるほど」厳しかった。晴れて修行が終わったとき、埼玉から京都まで28日間、托鉢をしながら歩いて帰った。

1931 年に国の名勝・史跡に指定された退蔵院の庭園「元信の庭」は、室町時代の枯山水の代表作。多くの枯山水はたいてい著名な禅僧や造園家の手によるものだが、この庭は狩野派の絵師が作庭している希有なものだ。

そして28歳、自坊の退蔵院に戻った。勤行、掃除、坐禅指導、法事のかたわら、頼まれごとはできるだけ引き受けるようにしている。「自分のことは自分でわからない。頼んでくれた人のほうが知っている」と思うからだ。その姿勢が冒頭の活躍につながっていく。

「目の前の人を安心させることが、僧侶の仕事。将来こうありたいとかはない。お坊さんとしての基本を忘れず精進していきます」。

今、目の前を大事に生きる大器。松山さんが見据える未来に、上限はない。

退蔵院方丈(本堂)

(2018年7月10日発行ハンケイ500m vol.44掲載)

妙心寺 退蔵院

京都市右京区花園妙心寺35

▽TEL:0754632855

▽拝観時間:9時~ 17時

▽定休:なし