サエキけんぞうの京都音楽グラフィティー

Vol.11 出町柳駅前のジャズ喫茶「LUSH LIFE」京都の町にたゆたう音楽の記憶(その2)

出町柳の改札からほど近いジャズ喫茶「LUSH LIFE(ラッシュライフ)」。前回、たまたま立ち寄ったこの店で、何やら京都の音楽“奥の院”の扉がいきなり開いたことを書いた。よく道に迷ったりすることを「ハマる」と言ったりするが、京都の街歩きの場合は時として「いきなりタイムトンネルに落ちる」ことを意味するんじゃないだろうかと思う。この連載を始めるきっかけになった河原町の「満亭」という洋食屋さんでは、1970年当時のフォーク&アート・シーンを覗き見ることになった。僕はそこで、高石ともやさんや岡林信康さん、そして様々な芸術家くずれの人が、夜を徹して「あ~でもない、こ~でもない」と、語り明かす幻影を見たのだ。そして「LUSH LIFE」でも、やはり僕は再びタイムトンネルに落ちた。おそるおそる話しかけた店主の茶木哲也さんは、次々と1960年代中盤の京都サブカルシーンの風景を見せてくれたのだ。

茶木さんが最初にお店を開いたのは1966年のことだ。三条神宮道に「SugerHill(シュガーヒル)」というお店をオープンし、翌年には「McCall’s(マッコールス)」に名前を変えた(この店名を記憶している人は多い)。この頃の店の前に立つ茶木さんの写真(※トップのモノクロ写真)が残っているが、これがめっちゃカッコいい!丸いツバ帽子に、スカーフになびく長髪。当時のプロのミュージシャンでもなかなかいないファッショナブルさだ。お店のキャッチフレーズは、当時としてはかなり意表をついた「ジャズ&ボサノヴァ」。今でこそオシャレな音楽として若者にも愛されるボサノヴァだが、60年代中盤頃はまだまだメジャーな存在ではなかった。ジャズの近隣で生まれた音楽とはいえ、ジャズ喫茶でかかることも少なかった。なにせ当時はヘヴィーにサックスやトランペットを吹きまくるモダン・ジャズが中心で、「ボサノヴァは軟派」と思っていたジャズ・ファンも少なくなかった。そんな中で茶木さんが掲げたコンセプトは、やはり相当にユニークなものだろう。

茶木哲也さん(中央)と三千代さん(右)

1967年といえば、ビートルズが前年に来日して大流行し、グループサウンズも人気を獲得。世の中では学生闘争が激化していった頃だ。そんな時代を反映してか、「マッコールス」の店内には隠語、暗号でヒソヒソと過激な活動について話す学生が増えていったという。そして彼らを追う公安警察や私服警官、さらにはヤクザ、レズビアン、小劇場の俳優…まさにアウトサイダーのルツボといった客層だったらしい。とはいえ店内でケンカが起こるような殺伐さは一切なく、学生もヤクザも和気あいあいの雰囲気だったとのこと。ちなみにこの頃のジャズ喫茶といえば、激しいビバップ、フリー・ジャズをかけて「オシャベリ禁止」と貼り紙をするストイックな店が多かった中で、「マッコールス」の気さくなカオスっぷりはなかなかすごい。

「マッコールス」は黒人音楽のルーツを志向して次第にジャズからブルースへと中心が移っていく。モダンジャズ・ファンのお客は離れていったが、変わりに食いついたのが前回にも名前が出た高田渡さんだ。お酒の飲み過ぎがたたって亡くなった高田さんだが、彼が活躍し始めた60年代末はお酒を一滴も飲まなかったそうで、マッコールスでも最初はコーヒーを飲んでいたという(ところが同じく店の客だった藤村さんというお医者さんにウィスキーの味を教えられて、どんどん呑助に。その藤村医師は高田さんの主治医として生涯面倒を見たというが、2005年に高田さんがこの世を去ると、ほどなくして亡くなった)。
なお1972年の浅川マキの3作目『ブルー・スピリット・ブルース』のジャケットは、この「マッコールス」で撮影されている。

1983年頃にお店を洛北に移し、店名を現在の「LUSH LIFE」に改名。ビルの3、4階と2フロアを使って、サッカーゲームやピンボール、ダーツといったゲームの他、週末にはジャズライブも行うお洒落なカフェバーに変貌した。バブル景気に至る80年代後半の華やかな時代を予見した店は大変にぎやかだったそうだが、だからといって「観光的」になることもなく、ライブ中心の店になっていく。当時珍しかったジャムセッションを毎週始め、学生時代にこの店で鳴らし、プロのジャズミュージシャンになった方も多いらしい。

1983年「LUSH LIFE」
1985〜87年頃、ライブハウスとなる「LUSH LIFE」(ラッシュライフ)

そして日本がバブル絶頂時の1988年5月、現在の出町柳に移転、カウンター9席のみの小さな喫茶店となった。カウンターを守る奥様の三千代さんと1991年に結婚し、さらにはフォトグラファー「Tets」として初の個展をイギリスの『BeardsmoreGallery』にて開催…と奔放に時代を突っ走ってきた茶木さんだが、その間もジャズへの情熱は全く変わらなかった。2001年にはランディ・ウェストン(ピアノ、米)、アブドゥーラ・イブラヒム(ピアノ、南アフリカ)といったジャズ奏者を京都に招いて上賀茂神社を会場にコンサートを主宰し、その回数はそれぞれ4~5回となり、現在に至る…。

イギリス『BeardsmoreGallery』にて開催した初個展の様子
ランディ・ウェストンを招いたコンサートのポスター
アブドゥーラ・イブラヒムを招いて上賀茂神社で開催したコンサートのポスター

この茶木さんの物語は「LUSH LIFE」がすっかり気に入ってしまった僕が、京都に行くたびにお店に立ち寄る中で聞いてきたものだ。そういえば、ある日の窓際には、ギタリスト山口冨士夫が在籍した伝説のロックバンド「村八分」のドラマー・榊原敬吉(5代目)さんがいた。村八分といえば、恐いイメージがあるが、榊原さんはホワホワと温かい方だった。こうして、音楽家達が座るカウンターは今も現在進行形なのだ。

タイムトンネルを抜けて、カウンターでコーヒーを味わう僕に、「ルーツの黒人音楽としてジャズ、ブルースが好きなんよ」と飄々と語る茶木さん。店で聞いた中で、僕が一番魅せられたのは「John Hammond's "Spirituals To Swing」というオムニバスのライブ・アルバム。「このジョン・ハモンドっちゅうのが重要なんよ」と、黒人音楽にのめり込んだ白人プロデューサーの偉業をチラっと説明してくれた。早速、手元のスマホで調べると「当時一般の目にほとんど触れることのなかったブギ・ウギ・ピアニストを、クラシックの殿堂カーネギー・ホールに上げたライブ。あのブルーノート・レコードを生んだアルフレッド・ライオンは、この実演にふれて、吹き込みを申し出た」とのこと。どうやらブルーノート・レコードの創生にも関わっている、アメリカの黒人音楽が、現在の隆盛を極めるための分岐点となる歴史的ライブなのだった。

この盤を聴いて驚いたのは、いわゆるスウィング・ジャズだけでなく、それ以外の黒人音楽も集合していること。ジョー・ターナーやハープのソニー・テリーのブルース。Golden Gate Quartetというドゥー・ワップの原型のようなアカペラ・グループの名演。そして原初的なブギウギ・ルーツのピアノの響き。ジャズ本流のチャーリー・クリスチャンもレスター・ヤングもいる。白人ジャズの権化のように思えたベニー・グッドマンもカウント・ベイシーを敬服するようにジャム・セッションでツバ競りあっている…茶木さんのいう「黒人音楽の始原にさかのぼる」という店の心意気が、この盤から伝わってくるのだ。

そうした心意気を肩ひじ張って「ポリシー」として掲げるのでもなく、物凄く深いセンスなのにさらりと楽しむ、その風情がさわやか。凄い知識なのに何をリキむわけでもなく、飄々と暮らしに音楽を溶け込ます様子は、やっぱり京都ならでは。その人懐っこい温かみが「LUSH LIFE」を訪れる客を、皆ほっこりと包み込む。馴染みの客とワイワイ、時には一見の客も交わりながら、音をたしなみ続ける。「21世紀の高田渡」が、今日、このレアな音楽のタイムトンネルから、生まれているのかもしれない。

超美味しい「LUSH LIFE」のカレー!

サエキけんぞう

アーティスト、作詞家、1980年ハルメンズでデビュー、86年パール兄弟で再デビュー、作詞家として、沢田研二、小泉今日子、サディスティック・ミカ・バンド、ムーンライダーズ、モーニング娘。他多数に提供。著書「歯科医のロック」、最新刊『はっぴいえんどの原像』(篠原章との共著)他多数。2003年フランスで『スシ頭の男』でデビュー、2012年「ロックとメディア社会」でミュージックペンクラブ賞受賞。最新刊「エッジィな男、ムッシュかまやつ」(2017年、リットー)。2015年ジョリッツ結成、『ジョリッツ登場』2017年、『ジョリッツ暴発』2018年、16年パール兄弟30周年を迎え再結成、活動本格化。ミニアルバム『馬のように』2018年、『歩きラブ』2019年、『パール玉』2020年を発売。
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