<出会う>京都のひと

「『これしかない』でこれまでやってきました」

江戸と京都、2人の師の影響を受けた寿司店。

寿司 深川龍丈 店主 深川龍丈

■寿司を通して、命と向き合う

その人は、ガハハと大きな声で笑う。陽気で裏表がなく、好漢という表現がぴたりとはまる男だ。集う人々は皆、笑顔。一方、心の琴線に触れる味わいに、思わず涙する客もいるという。料理には作る人間の生きざまが表れるものだと常、思っているが、深川龍丈さんもそんな料理人のひとりだ。

「伝統を残すには改革が必要」。定番に加え、湯葉を使った新作も。昼コース5,000 円、夜コース7,000 円。器はすべて清水焼の猪飼祐一氏作。

■究極の食べ物で、人の心を癒す職人を目指す

深川さんが寿司職人を志したのは、12歳の頃だった。

「小学4年生の時、命ってなんだろう、どんな生き方をしたらいいのだろうと考えるようになって」。

普遍的に「ありがとう」と言ってもらえるものを作りたい。深川少年が悩み抜いて導き出した解が、世の中の価値観が変わっても、たったひとつで人の心を癒すことができる究極の食「寿司」だった。おもしろいことに、当時、握りの寿司を食べた経験はなかったそうだ。

「不思議ですよね、経験がないのに理屈でそう思えたんです。遺伝子が教えてくれたのかな」。

旨みの乗ったまろやかなシャリと鯖の競演。伝統の鯖寿司はコースにも登場。

深川さんにはふたりの師がいる。ひとりは19歳のときに門を叩いた、東京浅草の名門寿司屋の親方だ。夢を語る少年に深く感銘し「江戸前よりも古い歴史を持つ西日本に、君の目指す寿司のヒントがある」と背中を押してくれた。「見ず知らずの僕を追い出すための口実だったのかも」と笑うが、その金言は後に実を結ぶことになる。

京都に戻り、バブルに沸く祇園の寿司店に就職するが理想とはほど遠く、鬱々としていた時に出逢ったのが、西陣の名店「福山寿し」出身の渡職人だった。

道を示してくれたのが浅草の親方なら、西陣の職人は技術と「自分を持て」と職人としての心構えを説いてくれた師。寿司深川龍丈ではシャリに鰹と昆布のだしで炊いた米を使うのだが、これは師匠に習った京寿司の伝統。深川さんの寿司は、江戸と京都、2人の師の影響を受けたものというわけだ。

肩の力が抜けたからだろう、白衣ではなく、カジュアルな衣装で客との距離を近く。

■命と深く向き合い自分らしい寿司を握る

現在、45歳。この紙幅では到底書けぬ大病をはじめとする人生の紆余曲折を経て、2年前、御所南に新店舗を構えた。

「はたから見ると出世しているように見えるのかもしれませんが、自分のなかで最善の選択を重ねてきただけ。『これしかない』でこれまでやってきました」。

ネタという生き物の命とより深く向き合うために道具も新調した。ネタの細胞にストレスを与えない、昔ながらの氷で冷やす冷蔵庫は、いうなれば「いのちの揺りかご」だ。

「ここにきて肩の力が抜けた。やっと自分らしくいられるようになりました」。

取材の最後、寿司を握ってくれた。口に運ぶと自然と顔がほころび、ほんわかと幸せな気持ちに包まれる。12歳の深川少年に伝えたい。君の夢は叶ったよ、と。

(2018年11月12日発行ハンケイ500m vol.46掲載)

祇園時代はビル2階だったが、御所南は路面。屋号は「ふか川」からフルネームの「深川龍丈」に変えた。

寿司 深川龍丈

京都市中京区夷川通寺町西入ル松本町576-2 ル•レーヴ寺町夷川1F 

▽TEL:0752110238

▽営業時間:12時~15時、16時~ 21時

▽不定休