ハンケイ5m

「普段は表に出てこない小さな思いを、音楽で感じ取ってあげたい」

音楽の力でプラスの変化を目指す「アドナース京都音楽療法センター」
音楽療法士 中澤あすかさん(写真右)

※写真は、成人の方との音楽療法セッションを再現した様子(左奥の女性はスタッフによる代演)

その音楽には、楽譜がない。奏でれる音は時にたどたどしく、時に爆発的に炸裂する。行きつ戻りつ、いくつもの音が重なり合ってはまた離れ、やがて一つの音楽へとつながっていく。「音には、その人自身が表れます。微妙な音の変化の中に、心の動きが隠れている。『音楽とはこうあるべき』という価値観に従うだけでは見えてこないことが、音楽療法にはたくさんあるんです」。
音楽を通して、心や体の障がいの回復、生活の質の向上などプラスの変化を目指す音楽療法。音楽療法士の中澤あすかさんは、その中でも「創造的音楽療法」と呼ばれる、英国発祥のノードフ・ロビンズ音楽療法を専門にしている。20代で音楽療法士を志し、渡英。本場英国の大学院で2年間音楽療法を学び、その後実務にも就いた。現在は、「ノードフ・ロビンズ音楽療法クリニック」として認定された京都市西京区の「アドナース京都音楽療法センター」を拠点に、活動している。
「クライアントの気持ちの流れを共有しながら、その人の『心の中の音楽』とつながることを大切にしています」と、中澤さんは話す。

■音楽と、就職と

中澤さんは、子どもの頃から多種の音楽に触れてきた。7歳からピアノを始め、小学校で鼓笛隊に入り音階のある打楽器のベルリラを担当。中学校に進むとブラスバンド部でホルンを吹き、高校ではオーケストラ部に所属した。大学進学後はマンドリンに熱中し、生活の中にはいつも音楽があった。
「就活時期には、一般企業にはあまり興味がなかった」という中澤さん。大学卒業の年が、いわゆる就職氷河期の真っ只中でもあり、自分の将来を真剣に考えることになる。
「私は、この社会で何をしようか」。自分と向き合った中澤さんの結論は「人の役に立ちたい」ということだった。大学卒業後に看護学校へと進み、看護師になる道を選んだ。そして看護学校時代、医療のスタディーツアーに訪れたカンボジアで、衝撃的な「音楽」と出会う。
「当時のカンボジアは医療資源も乏しく、もちろん楽器も揃っていません。でも、現地の人たちはスプーンやフォークでリズムを取りながら歌っていたんです」。

■「表現」に触れて知った、音楽の可能性

譜面に並ぶ音符を演奏する練習を重ねてきた自分の音楽と、カンボジアで出会った音楽はまったく違う。中澤さんにとって、これまでの価値観を土台から揺るがすものだった。
「私は音楽の『練習』をしていたけど、彼らは『表現』をしていた。その自由な演奏に魅せられました」。
カンボジアで感じた、音楽が持つ豊かな広がりと可能性。それは、中澤さんにとって人生を賭けるに値するものと感じた。そんな思いを胸に卒業し、看護師として病院で働き始めてしばらくしたある日、中澤さんは、音楽療法士という職業を知ることになる。それは、たまたま訪れた書店で出会った1冊の本。聖路加国際病院長の故・日野原重明さんが、音楽と癒しについて記したものだった。

イベントで自作詩を朗読する当事者の若者と、音楽でサポートする中澤さん(左)
■「これを仕事にしたい」

音楽で人の役に立つ。音楽療法士こそ、自分が追い求めていた職業だ。中澤さんは看護師をしながら、関東にあった通信制の学校で音楽療法を学び始める。そこで英国発祥のノードフ・ロビンズ音楽療法を知り、32歳で英国に渡ったのだ。
大学院で2年間みっちりと音楽療法を学んだ後、中澤さんは、まず英国で音楽療法士としての第一歩を踏み出した。主なクライアントは、自閉症の子どもたち。音楽療法のセッションで、英国の子どもたちは強烈な感情表現をぶつけてくる。日本とは言語も文化も異なる国で、日々、実践を重ねた。中澤さんは「英国での生活は、私自身も周囲と違うマイノリティ。自分の中に閉じこもりがちな子どもの気持ちを、同じ立ち位置で想像できるようになっていきました。今でも、その時実感したことが生きています」と振り返る。

■「心の中の音楽」とつながる

英国で6年半暮らした後、2009年に帰国し、「次は日本らしい場所がいい」と京都へ。縁豊かな京都府綾部市に移り住み、音楽療法士の仕事を続けながら、引きこもり支援の活動を行っているNPO法人にも携わるようになる。
引きこもり当事者との音楽療法では、英国で実践してきた手法が「なかなか上手くいかない」と感じることが多かった。自信を持てずにいる若者たちに「さあ、自由に表現してみよう」と呼びかけて、あの手この手で楽器を即興演奏しても、さしたる反応が返ってこなかったのだ。「いろいろな若者たちと一緒に経験を積んでいく中で、『待ってみる』というのも大切だと気づきました。『受け入れてもらえるんだ』と子どもたちが感じてくれれば、そこから、自分のやりたいことを少しずつ出してくれるようになるんです」。
現在、アドナース京都音楽療法センターでは、中澤さんをはじめ4人いる常勤音楽療法士を中心に、主に重度の障がいがある子どもたちとともに音楽療法を行っている。「子どもたちの動きに沿って即興で音楽をすると、全身で反応してくれるんです。子どもたちが型にはまらない活き活きした音楽に応えてくれるおかげで、私の中で音楽がどんどん広がっています」と話す。

イベントで自作詩を朗読する当事者の若者と、音楽でサポートする中澤さん(左)

音楽療法を通してたくさんのクライアントとセッションを重ね、音楽の幅を広げてきた中澤さん。「たくさんの音を使って華やかな音楽をしていると、時として情報過多になってしまう」ことに、ある日気が付いたという。
小さな鍵盤のキーボード、それひとつで成人のクライアントと連弾した時のこと。『ド』、『ファ』、『ミ』、『ソ』とクライアントが弾いた後に、中澤さんが『レ』、『ファ』、『ソ』、『ド』と弾くことを繰り返していた。最初は1本の指でポツポツと鍵盤を触っているだけだったのが、次第に2本、3本の指を動かすようになり、やがて音がつながり始める。
「だんだんと、私の音とその人の音がつながり出して、そのうちに2人で一緒にくすくす笑いあったりして。両手の迫力ある演奏ではなく、小さな音の、とても微妙な変化。それも大事なんだと実感できるようになりました」。
ノードフ・ロビンズ音楽療法は、「どんな人の心の中にも音楽性がある」という考え方に立っている。中澤さんは「普段は表に出てこない小さな思いを、音楽で感じ取ってあげたい。『気持ちを外に出しても大丈夫』という体験は、きっと10年後、20年後に効いてくると思うんです」と目を輝かせる。
ともに音楽をした経験が、いつかその人の支えになると信じて。小さな音をつないで生まれたメロディは、自由に生きる力を宿している。


右がポール・ノードフ、中央がクライブ・ロビンズ

ノードフ・ロビンズ音楽療法とは
作曲家のポール・ノードフと障がい児教育家のクライブ・ロビンズが開発したアプローチ。クライアントとともに即興的に音楽することを通じ、こころの内側からの変化を促す。世界の5大音楽療法の一つで、「創造的音楽療法」とも呼ばれる。

(2023年7月7日発行 ハンケイ5m vol.8掲載)


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