ハンケイ5m

「固定観念という『鎧』を脱ぐと、自由で楽しい人生が始まります」

不登校の子どもとその親など、生きづらさを抱えるすべての人に寄り添う
学び舎 傍楽 代表 駒井亨衣(こまい・ゆきえ)さん

小学生8万1498人、中学生16万3442人、高校生5万985人。小学生から高校生までの合計は、29万5925人。これは、文部科学省が取りまとめた2021年度の不登校に関する調査結果の数字だ。文部科学省の調査では、特に小中学校の不登校の児童生徒数は9年連続で増加し、21年度は過去最多を記録したという。
「29万5925人」という数字の向こう側には、それぞれの子どもたちの苦悩があり、親たちの葛藤が潜んでいる。自身も2人の子どもの不登校を経験した「学び舎 傍楽」の代表・駒井亨衣さんは、子育てを通じて、息が詰まるような毎日に悩む親たちに、肩の力を抜き、ゆっくりと深呼吸をして、ほっと一息ついてほしい。そんな思いから、2014年に京都市内の町家を改装し「学び舎 傍楽」を開設した。「子どもたちにも親たちにも、自分が自分でいられる場所が必要です。子どもの不登校を経験して、私自身が固定観念に縛られ、さらに子どもも縛りつけようとしていたことに気が付きました」と話す。

「自分でも気付かないうちにまとわされていた、固定観念という『鎧』を脱ぐと、自由で楽しい人生が始まります。まずは、親自身が変わる必要がある。子どもたちの不登校から、私自身が学んだことですね」。
突然だった「不登校」の始まり
1958年に兵庫県西宮市で生まれ、大阪府茨木市で育った駒井さん。小型充填機メーカーを経営する父と、専業主婦の母の下で育った。
「大学受験に失敗したんですよ、私。ちょうどその頃、実家の商売も大変な時期で……。高校卒業と同時に就職して、いやいや働き出したんです」。
当時、性別による職務の違いは根強く残っていた。大手の空調機器メーカーに就職するも、女性で一般職の仕事と言えば、お茶汲みやコピー取りが主だった時代。「面白くなくて、3年で仕事を辞めました」。
22歳で結婚、翌年に長女を出産。3年後には長男を授かり、2人の子の母親に。38歳で父親の会社に入社し、パートをしながら、家庭を切り盛りする毎日を過ごしていた。
「今振り返ると、私自身が敷かれたレールの上を踏み外さないように、はみ出さないように人生を歩いていたんです。知らず知らず、自分の子どもに対しても、それを要求していた。まさに『毒親』だったんですよ」。

不登校の始まりは、突然だった。
長女が高校1年生になったある日、「もう学校に行きたくない」と切り出した。長女が通っていたのは、大阪府内でも有数の進学校。生徒は私服で、自由な校風に長女も魅力を感じている、と思っていた。でも、「クラスには優等生ばかり集まっていて、誰とも本音で話すことができない」と打ち明けられた。
さらに、中学1年生になっていた長男まで「お姉ちゃんが学校に行かないなら、俺も行かない」と、姉に続くように不登校になった。
「無理やり学校に連れて行くことも考えました。ここで道を外れて、元に戻ることができるのか。子どもの将来を考えると恐ろしくて、不安しかありませんでしたね」。

すがるような思いでカウンセラーに相談に通ったものの、悩みはますます深まっていく。「子どもが学校に行かない」ということが、駒井さん自身を大きく揺さぶった。敷かれたレールを踏み外さないように、慎重に歩いてきた自分の人生。そのレールが突然、なくなったのだ。
これから、どうやって歩いていけばいいのか。そんな不安と苦悩に苛まれていた駒井さんが出会ったのは、同じように不登校の子どもを持つ母親たちが集まる「お母さんの会」だった。

長女の友美さん(左)、孫を膝に抱く駒井さん(右)
■親である「私の問題」という気づき

月1回のペースで開かれる「お母さんの会」に参加するようになり、不登校の当事者とつながったことで、駒井さんの意識が次第に変化し始める。
「最初は『2、3ヶ月したら、また学校行けるようになりますか?』と相談していたんです。そうしたら、他のお母さんに『5、6年はかかるで』と言われて、頭が真っ白になって。そこで気が付いたんですよ。ああ、不登校の大きな問題は、不安がる親、つまりは『私の問題』でもある、と」。
母親という自分自身、「私の問題」という気づきをきっかけに、これまでの子育てを振り返った駒井さん。子どものやりたいことを認めずに、「良い高校に行って、良い大学に入って、良い会社に就職するのが、良い人生だ」という固定観念に囚われ、子どもの人生をその枠に押し込めようとしていたのではないか。子どもたちの不登校は、それに対する「No」という返事なのではないか。

「長女の不登校をきっかけに、いやなことは『いやだ』と言っていいんだと、私自身が学びました。そして、当事者がつながる「お母さんの会」で友達ができたことで、仲間がいることの大切さを痛感しました。親にとっても子どもにとっても、誰にとってもこういう場所が必要だ。みんなのための居場所を作りたいと思ったんです」。すぐにはできなくても、いつか実現したい。駒井さんは、自身の生き方を見直しながら、ゆっくりとこの思いを成就させていく。

■軍資金を得て、「学び舎」開設

子育てから大きな学びを得て、目の前が開けた駒井さんは、自身の人生についても考えるようになった。すると、それまで何も考えずパートとして勤務していた父の会社の問題点が見えてきた。「従業員がやりたいことをできない会社でした。子育ての時と同じですね」。駒井さんは、従業員10人の大赤字の会社を52歳で引き継ぎ、経営者として立て直す道を進んだ。志を同じくするスタッフと一緒に8年かけて、従業員50人、年商10億円の健全な会社へと育て上げた。子どもの不登校を通して気付いた「やりたいこと」を大切にするという視点。これを企業経営にも活かしたことで、組織とそこで働く人たちが大きく変わっていったという。そして、そこで得た資金を元手に、2014年、「学び舎 傍楽」を開設したのだ。

■途切れたレールの先にある世界

みんなと同じように振る舞うことが、正しいわけではない。みんなと同じ道を歩くことだけに、価値があるわけではない。そんな当たり前のことを、学校や会社という集団の中にいると、時に見失いそうになる。
効率だけを追い求めるならば、画一的な基準を当てはめて評価するシステムはこの上なく合理的だ。でも、個を押し殺し、集団の理屈を優先した先に待っている世界で、私たちは何を誇りとして生きていけばいいのだろう。日本全国で約30万人の不登校の子どもたちがいるという現実は、今、私たちが生きている社会の不自由さを映し出している。
親も、子どもも、それぞれに違う一人の人間だと認めること。お互いを尊敬し、お互いの意思を尊重できるようになった時、子どもたちは新しい世界へと羽ばたく準備を始めた。

駒井さんの長女・友美さんは、高校1年生から2年間不登校となり、そのまま高校を退学する。その後、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)を受けて大学に進学し、2011年にカナダへ移住。現在は一児の母として、「生きづらさ」を抱えている人たちの居場所づくりに携わり、「学び舎 傍楽」では事務局を担当している。
長男の優一さんは、大学卒業後に小学校の教師になった。小学校に8年間勤めた後、「子どもたちそれぞれの能力を引き出す教育を実現したい」と退職。現在、駒井さんとともに、子どもたち自身が「やりたいこと」に取り組める新しいフリースクールを滋賀県大津市に開校しようと準備を進めている。

「やりたいことができる時、人が発揮するパワーって本当にすごいんです。その時が来るまで、時間がかかるかもしれない。でも、焦っても仕方ないなと腹を括って、まず親自身が変わろうとすれば、きっと子どもたちは自分の人生を歩き始めます」。
駒井さんは、固定観念という鎧を脱ぎ捨てることができた時、足は自然と前へ進み、新しい一歩を踏み出せた。途切れたと思ったレールの先には、真っ白な地図が広がっていた。

(2023年1月6日発行 ハンケイ5m vol.6掲載)


学び舎 傍楽 京都市中京区六角油小路町345-2


「ハンケイ5m」手をのばせば、すぐふれられる。そんな世界を知るマガジン。

▽ハンケイ5m公式インスタグラム⇨https://www.instagram.com/hankei5m_official/


sponsored by 株式会社アドナース