TOWA presents 岡田博和ものがたり

vol.08 継承する「TOWAイズム」、その実践者として。

2012年早春、地元紙・京都新聞の朝刊に「TOWA社長に岡田氏」という見出しが踊った。三段抜きで顔写真が付いた大きな扱いの記事は「岡田専務が4月1日付で社長に昇格(中略)、営業、開発両部門の本部長を務めるなど製販両面に精通した岡田氏による新体制」で「坂東和彦会長以来の生え抜きのトップとなる」と、TOWAのトップ人事をいち早く報じた。

この時、坂東が76歳、岡田は60歳。ひと回り以上年の離れた岡田は「私にとって、坂東会長は親父みたいなもの」と語る。創業以来、数多くの現場でともに力を尽くしてきた岡田と坂東。2人の間には親子のつながりにも似た、深く強い絆があった。
岡田の社長就任に際して、坂東は『ある約束』を交わしていた。
「私が社長をお引き受けすると決まった時、坂東会長に『岡田よ、わしは10年間お前に付き添うてやるから、安心せえ』と言って頂いた。その言葉を、何よりも心強く思っていました」。

18歳で社会人となり、ビジネスの世界に飛び込んだ岡田は、若い頃から坂東のすぐそばで背中を見て育ってきた。超精密金型・半導体製造機器メーカーという「ものづくり」の会社であるTOWAが、真に大切にすべきこと。「TOWAイズム」とも言える「ものづくり」への飽くなき情熱。「天才的な技術者」として世に知られた坂東の仕事ぶりから学んだことは、数知れない。
そのひたむきさ故に、岡田と坂東は時にぶつかり合うこともあった。
「私が事業部長だった時のことですが、新製品の開発現場にたびたび坂東会長が来られていました。技術のことが気に掛かるもんだから、『あれはどうなっている』『これはこう変えた方が良いんじゃないか』と意見をおっしゃるのです。計画と違うことが後から後から出てくるものだから、そのうちに現場が右往左往し始めましてね」。

坂東としては、期待の裏返しという面もあったのかもしれない。しかし、岡田は意を決して「会長、申し訳ないけれども、会長の声は『天の声、鶴の声』なんです。しばらく静かにしといてください」と坂東に直言した。
「かっと怒られましたけれども、『そうでないと物ができません』と食い下がりました。納得されたかどうか分かりませんが、その後は現場に任せて頂き、無事に新製品も完成しました」。新しい技術を追求し、全力で挑戦し続けるTOWAの理念を体現したエピソードだろう。
12年4月、岡田社長・坂東会長という創業メンバーによる新体制が始動する。TOWAならではの強みをさらに磨き上げ、新たな技術展開に向けて、二人三脚での挑戦が始まった。

しかし、別離の時は突然訪れる。岡田が社長に就任してから2年後の14年6月22日、坂東は泉下の人となった。享年78歳。深い悲しみの淵で、岡田は自分自身が果たすべき役割に、改めて思いを巡らせた。
「創業者の思いを継承していく『つなぎ役』としての責任を、今、強く感じています。京都の様々な文化や伝統も、人々が絶えず継承しているからこそ、今に残っていると思うのです。ものづくりも、全く同じです。創業以来の技術と理念の継承こそ、TOWAの根源を支えるものなのです」。


sponsored by TOWA株式会社