<出会う>京都のひと

「小説もとりそばも両立できると思ったけど、違った。今はとりそば一筋です」

映画監督と小説家に魅了された男が、作るとりそば。
とりそば ささ 店主 笹川史郎

■自分がやりたいことだけ、やりたかった

「とりそば ささ」店主の笹川史郎さんを語るのに避けて通れない大きな「3つ」がある。その第一は、映画。中学生のとき、8ミリフィルムでブルース・リーの作品を真似た映画を撮り、夢中になった。高校生になり、映画監督を目指す。
「黒澤明さんの『映画監督を目指すなら良い絵を観て良い本を読んで良い音楽を聞いて良いものを食べなさい』という言葉を、実践していました」。

薄口しょうゆのとりそばはあっさりコクのある鰹こんぶ味。写真はとりそば850円。

■映画監督・小説家に憧れて、演劇と音楽の街へ

大阪出身の笹川さんは、高校卒業後、京都の美大を目指して3浪するが夢かなわず、在阪の映像制作会社に就職。その後、舞台美術会社で美術デザイナーの仕事を経て、23歳で上京する。
「映画監督になるには、資金と人脈が必要です。だったらまず小説家になって、映画の原作になる作品を書こう! と」。小説ならペンと原稿用紙があれば書ける。好きだったのは吉行淳之介。すなわち第二に笹川さんが魅了されたものは、小説だった。演劇と音楽のメッカ下北沢に居を定め、文学賞に応募し続けた。しかし、地域が主催する文学賞に入賞こそすれ、お目当ての出版社からの受賞の知らせは届かなかった。

「食うために和風スパゲティ屋や、知り合いのスナック。松田優作さん行きつけで知られるバー『レディジェーン』でも働きましたよ」。ときはバブル。好きだった映像の方面で、フリーのTVディレクターとしても活躍した。ライターとして原稿を書いた時期もある。人間社会の機徴にふれようと、夜は下北沢界隈で飲み明かした。「映画、小説、飲むこと。自分がやりたいことだけ、やりたかったんです」。

センスのいい店のしつらえが目を引く。「たまたま出会った物件です。妻も自分も一目で気に入りました」

■尊敬する妻に出会い、目の前の一杯に専念する

2000年代、バブルの残り香は消え、浮かれた時代の終わりを感じるようになった。笹川さんも40歳となり、TVの仕事に「忙しいだけで、あとになにも残らない」空疎さを感じ始めていた。
2004年、笹川さんは42歳のときに友人が日中営む一杯飲み屋の閉店後にその場を借りて、とりそばの店を始めた。営業時間は夕方から早朝まで。飲んだあとの小腹満たしに具合のいい、鶏と魚介、乾物を合わせてだしをとったスープは、今のとりそばの原型だ。

結婚したのはちょうどこの時期。そう、第三に笹川さんが心を奪われたのが、奥さま。夜型生活を心配する妻の助言に従い、2008年に北鎌倉へ移住して8年。そして2016年、京都へ。小説をあきらめたわけじゃないけれど、と前置きして、笹川さんは続けた。
「俺は、自分が小説ととりそばを両立できる男だと思っていた。が違いましたね。今はとりそばに一筋です」。
ポケットに小説の創作ノートを忍ばせて、妻とともに移住した新天地・京都。今、ここで作る一杯に迷いはない。

(2021年5月14日発行 ハンケイ500m vol.61掲載)

 

店の掃除を含めて、目の前の毎日を大事にしたいと笹川さんは考える。「足元を大事にしたい。これは40歳になって学び始めた仏教の影響ですね」。

とりそば ささ

京都市右京区太秦乾町14-8
▽TEL:0758628227
▽営業時間:11時〜15時 17時〜21時 L.O.20時 日曜日11時〜17時 夜は予約制
▽定休:月

最寄りバス停は「常磐野小学校前」