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神経再生のメカニズムを解き明かし、脳疾患の新たな治療法の可能性を切り拓く。「ニューロン再生のこれから」

vol.06 同志社大学大学院 脳科学研究科 神経再生機構部門 金子奈穂子教授

ヒトの脳には約1000億個のニューロン(神経細胞)が存在するといわれ、複雑な神経回路を構築している。脳内のニューロンは、ヒトの場合は胎児期から生後1歳半までに作られ、それ以降に増えることはないとされてきた。しかし近年、マウスを使った実験などから、成長した脳でも特定の領域では新しいニューロンが生まれ、脳梗塞で傷害を受けると脳内を移動し、機能回復に関与していることが明らかになった。金子奈穂子教授はこの新しく生まれるニューロンに着目し、脳内で起きている再生と移動のメカニズムを研究している。「脳は分かっていないことだらけ。発見の度に、新しい疑問がいくつも生まれます。可能性と限界の両方を知るために、研究に終わりはありません」という金子教授が思い描く、「ニューロン再生」のこれからとはー。

--人間が体を動かしたり、言葉を話したりする上で、脳はとても重要な存在です。金子教授は脳科学がご専門ですが、どのような研究をされているのですか?

脳は、母親のお腹の中にいる胎児期に最もよく発達します。一般的に私たちのように大人になってからの脳は、新しくニューロンを作ることができません。このため、病気や怪我によってニューロンを失ってしまうと補充することができず、脳は非常に再生能力が低い組織として知られています。
ですが成長した後の脳でも、側脳室周囲の「脳室下帯」と呼ばれる限られた領域では新しいニューロンが作られ、脳内を移動しているということが、マウスなど小さな動物を使った研究で分かっています。この新しいニューロンが再生する仕組みを解き明かすことで、脳疾患の治療に応用できないだろうかと考え、発生や移動のメカニズムを研究しています。

脳は活動する時にたくさんの酸素を必要とするので、体の他の組織に比べて低酸素に弱いという特徴があります。そのため、脳梗塞などにより血流が止まってしまうと、周辺の脳細胞はすぐに死んでしまいます。もしそこに、ごくわずかに脳内で作られている新しいニューロンを移動させて、効率よく再生させることができれば、損傷した脳の機能を回復する新たな治療法につなげることができるかもしれません。

--ニューロンが脳の中を移動するメカニズムについて、具体的に教えてください。

ヒトや動物の脳が作られていく過程では、ニューロンの移動は非常に活発に起こっています。一方、成長した脳では新しく生まれるニューロンの数がもともと少ない上に、発生する場所も限られています。また、成長した脳内は、ニューロンから伸びる突起やグリア細胞という脳の機能を助ける細胞がたくさん存在していて、新しいニューロンが移動しにくい環境になっています。さらに、脳に傷害が起きると、死んでしまった組織を正常な組織と隔離するためにグリア細胞が急激に増加します。
私たちの研究室では、ニューロンの移動を促す方法についても研究しています。名古屋市立大学、東京医科歯科大学、東京農工大学などと共同研究で、ニューロンが脳内を移動するための人工的な「足場」を、生体に適合しやすいバイオマテリアルを使って開発しました。脳内にバイオマテリアルを移植して「足場」を作ることで、ニューロンが生まれてくる領域と、病気や怪我によって傷害が起きた場所をつなぎ、より有効に脳の再生に利用できるのではないかと考えています。

これまでの研究から、「足場」を作ったり遺伝子操作によってニューロンの移動を促進できること、また、移動を促進した方が脳の機能的な回復が早まることは分かっています。ただ、どうして回復が早まるのかということに関しては、まだ部分的にしか分かっていません。
ニューロンと一口に言っても、色々な種類があり、脳内の様々な場所で多様な働きをしています。新たに生まれたニューロンが脳内を移動した後、どのように機能的な再生につながっていくのかということは、非常に大事な部分だと考えています。今後の研究では、移動した後のニューロンにどのようなことが起きているのか、そのメカニズムを明らかにしていきたいと思っています。

--まだまだ未知の領域が、脳にはたくさんあるのですね。

「分かっていること」をそのまま進めて行くのではなく、「分かっていないこと」をしっかりと明らかにしていくことが大事です。「どうして、こういうことが起きるのか」というメカニズムの部分を解き明かすことが、私たち基礎研究者の一番の役割だと思っています。
基礎研究は地味で、遠回りに見えるかもしれません。しかし、基礎分野の地道な研究があってこそ、臨床分野との協調によって大きなブレイクスルーが生まれてくると思います。

研究で大事なのは、可能性と限界の両方を知ることです。可能性を追求するだけでなく、限界を知ることで別の展開を考えられるようになります。ポジティブな結果が出ると嬉しくなりますし、実際、その方が論文になりやすいという面はあります。ですが、能力の限界を明らかにするのも研究者として大事なことです。研究とは、可能性と限界を知ることを繰り返す中で、さらに発展していくものだと思います。

--金子教授にとって、脳とはどのような存在ですか?

私は精神科の臨床医でもあるのですが、ヒトの脳はそれぞれに違って、個性があるのがいいところです。心臓を動かしたり、呼吸したりという生きていくために必要な機能だけでなく、私たちが他者とコミュニケーションを取ったり、物事を考えたりという高次な機能まで全てを脳が担っています。脳の機能って、あまりにも複雑で、分かっていないことだらけなんですよ。

長年、脳を研究をしている中で、「分かっていないことが、すごくたくさんあるんだな」ということが分かってきました。新しいことが1つ分かると、「でも、この部分については分かりません」ということが増えていくので、研究に終わりはありません。分からないことが多すぎる、だからこそ、脳は魅力的なのかなと思います。

金子奈穂子(かねこ・なおこ)
同志社大学大学院 脳科学研究科 神経再生機構部門 教授

博士(医学)。山梨大学大学院医学工学総合教育部博士課程、名古屋市立大学大学院医学研究科神経発達・再生医学分野准教授を経て、2022年より現職。研究テーマは、成体脳内で産生される新生ニューロンの役割と制御機構の解析、脳梗塞後の新生ニューロンの挙動とニューロン再生機構の解析、ニューロンの再生を促進する介入法の開発。趣味はネコと遊ぶことと魚釣り。


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