ファッショナブルな生き方

「日本から夢見たアフリカ、そしてジャマイカへ。次なる夢は、『人』を支えること」

看護師・横本民子さん

「自分らしく」ファッショナブルなあの人は、いつだって自分の信じた未来を目指して、前に進み続けている。看護師として青年海外協力隊に加わり、海を超えて人々の「命」に向き合う横本民子さん。テレビで偶然目にした映像に導かれるように、壮大な人生の歩みが始まった。

神戸市東灘区で生まれ育った横本さん。多感な10代の頃から「しがらみなんてない世界で生きられたらいいのに」と、煩雑な人間関係や日本での生活に疑問を感じていたという。
そんな時、何気なく見ていたテレビで、アフリカ・ケニアの人々の生活を伝える映像が流れていた。果てしなく広がる大草原、マサイ族の人々の生き生きとした暮らし…。アフリカの雄大な自然と、そこで暮らす現地の人々の「自然の摂理」に合わせた人間らしい生き方が、心に沁みた。
「太陽が昇るとともに起きて、太陽が沈めば眠る。なんて人間らしい素敵な生活があるんだろうと、一瞬で心を奪われました」。アフリカへの憧れは、その後の横本さんの人生を導く「羅針盤」となっていく。

少女の頃に抱いたアフリカへの憧れは、大人になるにつれてますます募っていった。「どうすれば、私はアフリカで暮らすことができるだろうか」。横本さんがたどり着いた答えは「青年海外協力隊に入ってアフリカに渡る」ことだった。
看護師として青年海外協力隊に入り、ケニアへ行く−。自分自身で決めた目標を胸に上京し、東京の専門学校で学び看護師免許を取得する。その後、生まれ故郷の神戸へ戻り、病院勤務の看護師として3年間の経験を積んだ。
医療現場での仕事にやりがいを感じながらも、やはり揺らぐことのないアフリカへの思い。しかし、当時は青年海外協力隊の募集に東アフリカで活動する看護師の枠はなかった。
「夢のケニアを目指して、一歩でも前へ進みたい」。横本さんは持ち前のバイタリティを生かし、京都大学に留学中だったケニア人学生の元でスワヒリ語を習い始める。その縁がつながり、25歳の時に、ナイロビにあるスワヒリ語学校へ通うことを決断した。

「その時は『とにかく行くぞ!』という気持ちでした。こうなったらもう、執念ですよね」。自らの手で切り拓いた、アフリカでの生活。雄大な自然と、現地の人々の生の暮らしにどっぷり浸かり、憧れのアフリカでの日々を堪能した。
充実したアフリカ滞在を終えて日本に戻ってきた横本さんは、再び看護師として神戸の病院で働き始める。患者の看取りを通して生命の不条理に向き合う中で、次第に看護師としての仕事に限界を感じるようになっていった。
「私、看護師向いてないんかなあ」。
神経をすり減らす毎日を送る横本さんを支えていたのは、あのアフリカの映像だった。「そうだ、私は青年海外協力隊に入りたかったんだ。そのために看護師になったんだ」。少女の頃見た夢に導かれるように、横本さんは病院を退職し、31歳で青年海外協力隊として生きる道を選ぶ。

その後、横本さんは2年半の間、青年海外協力隊の看護師としてジャマイカに赴き、現地で任務にあたった。文化や風土、生活習慣の違い、言葉の壁。協力隊として活動する中で、理想と現実のギャップに苦しむこともあったという。でも、可愛がってくれる人、優しく接してくれる人たちに出会い、現地の人々の温かさに触れたことで、人生はさらに豊かに広がっていった。横本さんはジャマイカで出会ったアメリカ人男性と結婚し、現在、ジャマイカと日本、2つの国を行き来する生活を送っている。
アフリカでの生活と青年海外協力隊、自分が思い描いた夢を実現させた横本さん。その歩みは決して平坦な一本道ではなかったが、だからこそ「自分らしい」思い出の数々に彩られている。そんな自身の経験から「過酷な状況でボランティアを続けている人たちを、何かの形で支えたい」というのが、横本さんの次なる夢だという。
「結局私、人間に興味があるんだと思います。だから、なぜ人は過酷な環境でボランティアをすることができるのか、その答えが知りたいんです」。日本での窮屈な人間関係を抜け出して、雄大な自然に憧れた横本さん。沈んでは昇ることを繰り返し、どこまでも大地を照らす太陽のように。横本さんの夢は、大草原のはるか彼方へと続いている。


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