京都の文化を考える

日本酒を入り口に、さまざまな「京都の文化」に触れて。洛中の老舗酒蔵、伝統をつなぐ思い。

<京都の文化を考える>Vol.4 清酒「聚楽第」醸造元 佐々木酒造株式会社 代表取締役 佐々木晃さん

令和5年3月27日に文化庁の京都移転を迎えるにあたり、改めて京都の街に息づく多様な文化に触れてみたい。リレー対談『京都の文化を考える』第4回のテーマは「日本酒」。1893(明治26)年創業の老舗「佐々木酒造」の代表取締役・佐々木晃さんとともに、京都の酒造りが受け継いできた文化と、これからの伝統のあり方について考えます。

−−洛中と呼ばれる京都の中心に近い場所に蔵を構える「佐々木酒造」。千利休が茶の湯に用いたと伝わる名水で仕込んだ清酒「聚楽第」で知られる、老舗の造り酒屋です。日本酒という存在を通して、京都の文化をどのように捉えていらっしゃいますか?

佐々木:お酒造りは京都の伝統的なものですが、私自身は、日本酒そのものが文化だとは感じておりません。
京都市は2013年に「清酒での乾杯を広めよう」と、全国で初めて「日本酒乾杯条例」(京都市清酒の普及の促進に関する条例) ができました。
日本酒を飲む時、京焼や清水焼の酒器を使い、和食と一緒に召し上がっていただく。また、和食を提供される割烹や料亭に行く時には着物を着たり、お店では生花や掛け軸といった和の設えでお客様をおもてなしする。そういう風に、日本酒を飲むことを通して、様々な京都の文化に触れる機会を増やすことが条例の目的になっています。
日本酒単体ではなくて、日本酒を取り巻くすべてが京都の文化であって、その中の端っこの方に日本酒が居させてもらっている、と思っています。

−−正月のお屠蘇をはじめとする四季折々の節句に頂くお酒や、神社仏閣への樽の献上など、日本の伝統的な文化や習慣に日本酒は欠かせないものです。

佐々木:佐々木家は元々、油屋を営んでいたのですが、「神棚に供えてもらえるものを作りたい」という思いから、明治の頃に造り酒屋を始めたと聞いています。先ほど「日本酒そのものが文化だとは感じない」と言いましたけれども、お酒造りという仕事の中には伝統や文化が息づいていると言えるかもしれません。
毎年、秋に収穫された新米を使ってお酒造りを始める時には、今も古来と変わらず、梅宮大社さんに醸造安全祈願のお参りに行きます。そして冬の期間にお酒造りを終えたら、次は松尾大社さんに参って「今年も無事に終わりました」とお礼とご報告をしています。
「ちょっと邪魔くさいな」と思いながらやっている部分もありますけれど、でも、やめる勇気がない(笑)。先代の父親がやってきたことなので、「やっぱり、自分もやらないとあかんな」と思って続けています。

−−「やめる勇気がない」とは、まさに伝統を担い、次の世代へと繋いでいらっしゃる方だからこそのお言葉ですね。佐々木さんのような方々が「やめない」からこそ、京都の伝統や文化が続いているのだと実感します。

佐々木:そうですか(笑)。日本酒を取り巻く状況は、国内の一次産業の衰退やライフスタイルの変化で、大きく様変わりしました。佐々木酒造でもリキュールやノンアルコールの甘酒を作ってみたり、発酵技術を活かしてピクルスを作ってみたりと色々取り組んでいます。しかし、やはり本業はお酒造りなので「良い日本酒を、ちゃんと作る」ことをしっかりやっていこうと思っています。もし、それを指して文化と言っていただけるのならば、ありがたいなという思いでおります。


地元・京都で活動、活躍されている方を中心に、「あなたにとって『文化』とは?」を聞きました。

■俳優・映画監督 福山 俊朗
人が生きていく上で絶対ではないが、より幸せに生きていくために必要なもの。
人間の心と体を満たす創造・想像物の集合体。

■KBS京都 ラジオ担当取締役  湯浅 勝

音楽も、野球も、居酒屋も・・・
自分にとって一番近い「文化」。

人それぞれに、その数だけの「文化」がある。

人は時に人とぶつかり合い、少し面倒くさい
けどやっぱり楽しい・・・
そんな空間と瞬間が、何かを生み出す「文化」
になるのでは・・・

あなたの「文化」のひとつに、「ラジオ」が
さりげなくあれば、もっと嬉しい。


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