TOWA presents 岡田博和ものがたり

Vol.05 切り結んだ「約束」の一歩、アジアから世界へ。

世界で初めてプレスモジュールを着脱可能としたTOWAの半導体製造装置「Yシリーズ」は、1994年11月に市場投入されるや否や、瞬く間に業界を席巻した。発売開始から2年あまりで販売台数は500台を超え、業界でも類例を見ない「爆発的ヒット」を記録する。これを契機にTOWAは、独自の技術に裏打ちされた先駆的な装置を手がける日本の半導体製造装置メーカーとして、存在感を増していく。

「Y2K」と呼ばれた西暦2000年を控え、世界の半導体需要はなお拡大を続けていた。90年代に始まった半導体の設計と製造を別々に行う水平分業化の進展は、半導体産業の構造を大きく変えようとしていた。韓国や台湾の新興メーカーが注目を集めるなか、欧米の企業も次々と東南アジアに生産拠点を設けていく。
大きな成長可能性を予感させて、アジア圏の半導体産業の胎動が始まっていた。その中心とも言えるシンガポールで、岡田博和は次なるミッションに挑んでいた。

アジア圏での半導体産業の成長を見据え、かねてからTOWAは新たな生産拠点の開設を構想していた。研究開発から設計・製造、保守メンテナンス、営業、顧客のアフターサービスまでを統括的に行う「TOWA AP(アジア・パシフィック)センター」の建設だ。岡田は責任者であるマネージング・ディレクターとして、この地で実現に向けて奔走していた。
「顧客である半導体メーカーとは『TOWAはメード・イン・ジャパンだから信頼を置ける』ということで、これまでの取引を築いてきた面がありました。顧客からは『いくらTOWAでも、シンガポールでは土台無理な話だろう』と難色を示され、懐疑的な声が大半でした」。

営業担当として豊富なキャリアを重ねてきた岡田にとって、顧客の反応はある意味で「想定の範囲内」でもあった。顧客へのあいさつ回りと同時に、岡田は一つの「約束」を取り付けていく。
「自分が全責任を持って、あなた方が求めるものを提供する。もし約束が果たせなかった時は、私の首を切ったらいい。この首はあなたに委ねるから、とりあえず私を信用してほしい」。
まもなく完成する「TOWA APセンター」は、まだ何の実績もない。しかし、岡田には「確かな思い」があった。単なる海外工場の新設ではなく、世界に羽ばたく「ミニ TOWA」を作り上げていくー。「アジアの中で『メード・イン・TOWA』のものづくりを可能にする」という熱意を胸に、岡田はビジネスの最前線で真剣勝負に臨んだ。自らの首を賭し、捨て身の覚悟で踏み込んだ「約束」の一歩が、やがて勝機を開く。

1997年11月25日、シンガポール副都心のジュロン・イースト地区インターナショナル・ビジネスパークに「TOWA APセンター」が竣工する。操業を始めたその日から、半導体製造装置や金型の製造に取り掛かった。岡田が受注してきた直取引での注文だった。
2000年代に入ると、アジア・太平洋州の半導体市場は急激な成長期を迎える。半導体需要の多様化と拡大を背景に、製造メーカーは設備投資を加速する。『メード・イン・TOWA』のものづくりが、アジアから世界へと大きな躍進を遂げていく。


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