「京丸うちわ」小丸屋住井女将・住井啓子&デザイナー北川一成「京都の伝統を聴く」

京都の老舗、その伝統を訪ねて vol.3「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」宮司 田中安比呂さん

花街の夏の風物詩として、京都で古くから親しまれてきた「京丸うちわ」。江戸時代の創業から約400年にわたって、伝統のうちわ作りを守り続けている「小丸屋住井」の女将・住井啓子さんと、世界的なデザイナー・北川一成さんを聞き手に、京都の伝統を担う老舗ご主人をお招きしてお話を伺う鼎談企画『京都の伝統を聴く』。今回のゲストは、「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」宮司・田中安比呂さん。京都の暮らしの中に溶け込んだ文化と美意識を、未来に守り引き継いでいくために。京都の魅力について改めて思い巡らし、歴史と伝統の深淵へ連なる本質に迫ります。

−−上賀茂神社の名で親しまれている「賀茂別雷神社」は、「古都・京都の文化財」として世界遺産に登録されています。例年5月15日に行われる「賀茂祭(葵祭)」でも広く知られている、京都で最も古い神社の一つです。

田中:上賀茂神社はまさに、文化財の宝庫とも言える神社です。国宝に指定されている本殿・権殿をはじめ、41棟の建物が重要文化財の指定を受けています。京都三大祭の一つである「葵祭」は、正式には「賀茂祭」と言います。上賀茂神社と下鴨神社の例祭であり、今からおよそ1500年前に始まったとされます。ひとくちに「文化」といっても、建物のような「有形」のものと、「葵祭」をはじめとする祭事にまつわる諸々の営みなど「無形なもの」と、大きく2つがあると思っています。

田中安比呂さん
■「千年前から」同じように繰り返す

田中:私は平成15(1993)年に上賀茂神社の宮司として、東京の明治神宮から京都へやってまいりました。早いものでもう19年になりますが、「文化を伝えていく」というのは並大抵のことではないと、日々感じています。
日本の神社における祭の形式は、明治維新の後、政府の方針に沿った官制として一つの形が定められました。ところが、上賀茂・下鴨神社の「葵祭」と、京都府八幡市にある石清水八幡宮の「石清水祭」、奈良県の春日大社の「春日祭」は、古くからの祭事を続けていきなさいという明治天皇さまからの思し召しがありました。そのために、この3つの祭は「勅祭」として、今も独特の形式を保っています。天皇陛下の御名代として神社に勅使が来られ、天皇陛下に代わって勅使自らが祭を行い、国の繁栄と国民の幸せを祈ります。そういう独特の祭が、遥か昔から変わることなく今に続いているのです。
私が上賀茂神社に来た当初、「葵祭」をはじめ、来年930年を迎える「競馬(くらべうま)」など独特の形のお祭りが多いことに驚かされました。神社の職員に「どうしてこういう形で行うのか?」と尋ねると、「千年前からやってますから」と言われたのです。その言葉を聞いて「これは大変なことだ。大切な行事をずっと、同じように伝えていくということの大切さというものがあるんだな」と深く気付かされました。

住井啓子さん

住井:私ども小丸屋住井は、京都で代々「京うちわ」を作っています。「文化には有形なものと無形なものがある」という田中宮司のお話の通り、うちわもただ単に風を送るための道具というだけではなく、古くは「邪気を払う」ために使われていたと言われています。京都の文化を伝えていくためには、「有形の文化」そのものを残していくことはもちろん大切ですが、同時に、「無形の文化」として根本に込められている意味を知ってもらうことが必要だと思っています。

■「不易流行」という意味

田中:上賀茂神社の本殿は、式年遷宮で21年ごとに建て替えています。国宝に指定されているので、全て壊して建て替えるということはしませんが、屋根の檜皮などを修復し、新しく作り直していきます。式年遷宮の意味は、技術を継承していくということでもあります。檜の皮を剥いで屋根を葺く檜皮葺には、竹の釘を用います。ですが、その竹の釘を作る職人の方が高齢となり、もう2人しかおられません。竹の釘を作るだけでは商売にならないから、跡を継ぐ人がいないのです。連綿と続いてきた文化を支えている技術を継承していけるかどうか、それが今、一番心配していることです。
「不易流行」という、松尾芭蕉の言葉があります。物事にはそれぞれの時代で流行するものがある。だけど、変わってはいけない「不易」と言うものが必要だという教えです。変えてはいけないものと、変えていかないとならないものがあるわけです。日本の心である文化を伝えていくには、絶対に変えてはいけない部分と、時代に応じて変えていく部分の両方を、しっかりと考えることが必要だと思います。

北川一成さん

北川:僕も、自分のデザインについての考え方や技術を、後進の人、若い世代の人たちに伝えたいと日々考えています。でも、考え方の基の部分、本質をそのまま伝えることは、簡単そうでものすごく難しいと痛感しています。「葵祭」のように、京都の文化が千年を超えて今に伝わっているという事実に、一撃を喰らったような気持ちです。
文化や歴史というのは、経済合理性だけで計ることができないものだと思います。芸術や文化は、人間ならではの情緒に根ざしたものです。その本質を理解していないと、時代が変わって技術が進んだ時に、意味や価値を見失ってしまう危険があると思うのです。
人類が価値をやりとりしてきた方法は、物物交換に始まり、貨幣という抽象価値を仲立ちとした経済へと発展してきました。インターネットが高度に発達していくこれからは次の段階として、思想と思想の交換という新しい様式が生まれつつあると感じています。人類史という長い時間軸で考えると、今はまだ、次へと続くドアを叩いたばかり。人間がようやく無形のものに価値を見出し、新しい交換様式が現れてきた黎明期だと感じます。

−−最後になりましたが、「伝統」とは?

田中:小丸屋住井さんのうちわをひとつ作るのも、知らない人にとっては一見、なんでもないように思えるかもしれない。しかし、そこには大変な技術があって、連綿と続いている伝統があるわけです。「現代の技術で、プラスチックで作ればいいじゃないか」というわけにはいかない。たとえ見かけは同じうちわであっても、それでは日本らしい、優雅な風は送れないのです。そういう意味で、技術と同時に、ものを伝えることは大切なことだと思います。伝統というのは、古くからの歴史を持っているからこそ意味があるのです。その伝統を支えている方法を、当たり前のように繰り返していくことが大切なのだと思います。

住井:うちわや扇子は竹と紙を材料として、先祖代々から受け継がれてきた職人の技によって出来上がるものです。ですが今、海外製の安価な製品が増え、昔ながらの日本の竹と職人の技で作ったうちわや扇子が危機的な状況に置かれています。材料となる竹の確保や職人の育成など、取り組まなければならない課題がたくさんあります。
日本の伝統、京都の文化に培われてきたうちわや扇子の根本を残さなければならないという責務が、私の軸にあります。
小丸屋住井が創業以来、脈々と受け継いで、これまで守り伝えているのは、伝統や文化の根っこにある心です。その心を大切に、歴史を伝えていきたいのです。

※「京丸うちわ」は、株式会社小丸屋住井の登録商標です。(登録商標第5673089号)


sponsored by 小丸屋住井