ファッショナブルな生き方

「ありのままであっても、ただそのままではなく、揺らがない自分を持ち続けること」

フリーアナウンサー・大谷昌子さん

「自分らしく」ファッショナブルなあの人は、いつだって心踊る瞬間を楽しんでいる。子どものような好奇心を大切に、自分自身に対して素直であること。人生を豊かに広げていくヒントは、時として意外なほどシンプルなものだ。
学生時代のオーディションをきっかけにマスメディアの世界へ飛び込み、テレビやラジオで活躍してきたフリーアナウンサーの大谷昌子さん。リポーターという仕事を通じて多くの人たちと出会う中で、広い視野を持つことの大切さを肌身で感じた。既成の枠にとらわれず、多面的に物事と向き合うこと。そこから見えてくる新しい発見が、いくつになっても人生の可能性を無限大に広げていく。

テレビアニメに登場する主人公は、いつもきらきらと輝いて見えた。中でも好きだったのは、双子の狼と一緒にジャングルを飛び回る主人公が大活躍する『狼少年ケン』。主人公のケンになりきって、男の子たちと一緒に公園を走り回って遊んだ。「盛り上がると時間を忘れて、ついつい門限に遅れることも。ガキ大将みたいな女の子でしたね」と振り返る。
小学4年の時、喘息だった妹の治療のため当時住んでいた大阪府豊中市の団地から、三島郡島本町へと移り住む。木津川、宇治川、桂川の3つが合流して淀川となる三川合流地域に位置し、天王山の広大な山林が広がる農村地帯。「近所の川の中にオオサンショウウオがいて、身の周りに自然があふれていました。転校した小学校ものんびりしたところで、のびのび過ごしていましたね」。自然豊かな環境は、活発な少女だった大谷さんにとって格好の遊び場となった。島本町で4年間を過ごし、今度は母親の実家が近い大阪府吹田市へと引っ越すことになる。

少女の頃の大谷さん

「中学2年の3学期に引っ越して、吹田市内の進学校に転校したんです。ところが、授業が全く分からない。それまで通っていた島本町の中学と比べて勉強が進んでいて、知らないことばかり。放課後に職員室で補講を受けるような、典型的な落ちこぼれになってしまったんですよ」。
思春期の多感な時期に、「転校生」として新しい集団に飛び込んだ大谷さん。「勉強ができない」という思いもあって周囲にうまく馴染むことができず、次第に自分の思いを内に秘めるようになっていく。「自分の気持ちを隠す、ということを覚えましたね」。
10代の大谷さんは、さらに過酷な出来事に見舞われる。高校卒業を控えた3年生の冬、脚を痛めて手術をすることになり、1ヶ月間の長期入院を余儀なくされた。手術後は寝たきりの生活が続いた。卒業式に出ることも出来ず、病室のベッドの上で担任の教師から卒業証書を受け取った。

高校の卒業アルバムから

「大学ではフランス語を学びたいと思い、京都外国語大学フランス語学科に入学しました。退院後1年ほどは松葉杖が必要で、大学へも松葉杖をついて通っていました。自分の思い通りに体が動かせないのは、しんどかったですよね」。
脚の手術をきっかけに、明るさをなくしてしまったように見えた大谷さん。それを案じた母が、あることを思い付く。
「当時、毎日放送のニュース番組でアシスタントを募集しているのを見て、母が私の写真を送ったんです」。
活発だった少女時代の元気をもう一度取り戻してほしい、そんな気持ちがあったのだろう。母の応募をきっかけとして、大谷さんは朝のニュース番組のアシスタントに選ばれる。大学2年の時から2年間、当時誰もが知っていた「ヤン坊マー坊天気予報」に出演する。テレビのニュース番組を入り口に、大谷さんはマスメディアの世界へと踏み出した。
大学に通いながらテレビの仕事を続け、1982年に始まった読売テレビのバラエティ番組『おもしろサンデー』では初代リポーターに抜擢された。大学4年の時には、写真家・篠山紀信の目に留まり、雑誌「週刊朝日」の表紙グラビアも飾った。
「10代で大きな手術を経験して以来、周囲との距離を感じていました。そんな自分でも、番組に使ってもらえる。テレビの仕事に励む中で、ようやく自分の居場所を見つけたという気がしました」。

番組の台本(左)と、篠山紀信氏の撮影で表紙を飾った「週刊朝日」(右)。奥は、大谷さんがモデルをしていた雑誌『anan』の掲載ページ。

大谷さんがテレビの世界で教わり、今も大切にしている教えがある。「まだ経験も少なかった駆け出しの頃、ある番組のディレクターさんに、目の前のコップを指して『これは何に見える?』と問われたんです」。
当然のように「コップです」と答えた大谷さんに、年長のスタッフはこう言った。「どこにでもあるようなコップだけど、上からは丸い形に、横からは台形に見える。自分がどの角度から見るかによって、形は全く変わるものなんだよ」。

フリーアナウンサーの傍ら、今は話し方のコーチングを行なっている大谷さん。さまざまな経験を重ねた今でも、その時の言葉が心の中に生きている。
ありのままであっても、ただそのままではなく、揺らがない自分を持ち続けること。ものの見方や価値観の違い、周囲との葛藤を乗り越えた先には、きっと新しい「自分らしさ」が広がっている。

「人生は山あり、谷ありですよ。今の現状に満足してない人もいるかもしれない。でも、年を重ねて白髪で出てきたからこそグレイヘアを楽しめるように、世間体にとらわれない生き方を大切にしたいですね」。


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