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基礎研究から生まれた“シーズ”を、救命救急医療の課題解決へつなげたい。バイオミメティックケミストリーの研究で挑む「人工血液のこれから」

vol.04 同志社大学 理工学部 機能分子・生命化学科 北岸宏亮 教授

生物の体内で起きている化学反応を真似て、さまざまな機能を持つ物質を作り出す「バイオミメティックケミストリー(生体模倣化学)」。北岸宏亮教授が長年取り組んでいる「人工血液(人工ヘモグロビン)」の研究から生まれた“シーズ(種)”が今、火災時の有毒ガスによる疾患の治療に役立つとして注目を集めている。基礎研究から生まれた種を、救命救急医療の課題解決へとつなげたい。「化学の基本は『ものづくり』。ゼロからの挑戦こそ、研究者の醍醐味です」という北岸教授が思い描く、「人工血液のこれから」とはー。

--北岸教授が研究を続けておられる「人工血液」とは、どういったものなのでしょうか?

人間の体に流れている血液と同じように、血管の中で酸素を運ぶことができる物質「人工ヘモグロビン」を作る研究を続けています。人工ヘモグロビンの研究自体は約50年の歴史がありますが、我々が取り組んでいるのは「シクロデキストリン(CD)」という物質を使った研究です。
CDは一見すると複雑ですが、グルコース(ブドウ糖)が集まって出来ています。グルコースが連なってデンプンとなり、このデンプンが輪っか状につながったものがCDです。輪っかの構造になっているので、中にいろいろなものが取り込めます。この性質を利用して、CDは薬品や食品添加物として広く使われています。意外と身近な物質なのです。

人間の体は、血液中のヘモグロビンに含まれているヘム鉄が酸素と結合することで、体内に酸素を運んでいます。生体内のヘモグロビンは、酸素をうまく運ぶためにヘム鉄の周囲がタンパク質で覆われています。この構造を真似て、タンパク質の代わりにCDでヘム鉄の周辺を覆った人工ヘモグロビン「hemoCD(ヘモCD)」の研究を続けています。

hemoCDの構造式(画像提供:北岸宏亮教授)

--北岸教授はいつ頃から、この研究に取り組んでいらっしゃるのですか?

同志社大学工学部(現・理工学部)の大学院博士課程に在籍していた時から取り組んでいるテーマですので、およそ20年近く研究を続けています。恩師である加納航治先生(同志社大学名誉教授)とともに、2005年に世界で初めて、CDを使った水に溶ける人工ヘモグロビン「hemoCD」を作り出すことに成功しました。これが出発点となり、人工血液の実現という夢に向けた挑戦が始まりました。
2008年からは同志社女子大学薬学部と共同で、動物にhemoCDを投与する実験を始めました。もともとCDはブドウ糖から出来ているので、副作用など体への悪影響はないと予想していましたが、実験でも安全性が確認できました。ただ、投与してすぐに尿としてhemoCDが体の外に排出されてしまったんです。本来は血液中で酸素を運んでほしかったのですが、実はここに“シーズ”が隠れていたんです。

--実験でhemoCDを投与した動物の尿に、新しい発見があったのですか?

hemoCDは赤色をしているので、投与後の尿も赤くなっていました。よくよく観察していると、その赤色は私が知っているhemoCDの水溶液とちょっと違っていて、やけに鮮やかな赤だと気づきました。不思議に思って分析してみたところ、尿の中に含まれていたhemoCDには一酸化炭素(CO)が結合していることがわかりました。
その後の研究で、動物や人間の体内にはある程度のCOが存在していること、hemoCDがそのCOと結合して体内から除去するということがわかってきました。一酸化炭素中毒の人の顔は赤くなるんですが、これも同じく血液中のヘモグロビンがCOと結合しているからです。同じことがhemoCDを投与した動物の尿の中でも起きていたわけです。

血液中のヘモグロビンと我々が作り出したhemoCDに共通しているのは、酸素やCOと結合するという性質です。一方、ヘモグロビンが血液中に留まっているのに対して、hemoCDは投与後に短時間で尿として体の外へ出てきます。さらに研究を続ける中で、この性質をうまく利用すれば一酸化炭素中毒の解毒剤として使えるということがわかってきました。

生物の仕組みを模倣し、再現する化学を「バイオミメティックケミストリー(生体模倣化学)」と呼びます。徹底的に模倣しても、完全に同じものを作ることはできないというのも、この分野の研究の面白いところです。「よく似ているけれど、少し違う」ものを作ることで、医療や薬学など他分野の研究につながり、新たな可能性を広げています。

--予想外のところに、研究の発展につながる”シーズ”があったのですね。この発見が次のステージである、救命救急医療の課題解決へとつながっていきます。

火災時に発生するCOやシアン化水素など有毒ガスによる中毒は、死亡原因として大きな割合を占めています。ですが、まだ抜本的な治療法や治療薬は確立されていません。京都アニメーション放火事件や北新地ビル火災などの大規模火災でも、多くの生命が奪われました。一命を取り留めた場合でも、脳機能障害などの後遺症が生じることがあります。

hemoCDは生体内のヘモグロビンに比べて、COと結び付く機能が約100倍高いという特徴があります。動物を使った実験では、従来の一酸化炭素中毒の治療法である酸素換気治療と合わせてhemoCDの水溶液を静脈に注射することで、脳内のCOを効果的に取り除けることも分かりました。さらに、2種類のhemoCDを組み合わせることで、一酸化炭素とシアン化水素の両方を同時に除去することができます。

我々の目標は、hemoCDを火災ガス中毒の治療薬として社会実装することです。そのために、医療関係者や防災関係の研究者とともに、同志社大学を拠点とする「火災ガス中毒治療薬開発研究センター」を10月に立ち上げました。今後、臨床試験をはじめ実現に向けたいくつものハードルが待っていますが、多分野の研究者と連携し、広く社会にその意義を訴えていくことで乗り越えたいと思っています。同志社大学で生まれた”シーズ”から、世界に役立つ成果を生み出すための新たな挑戦です。

--息の長い地道な基礎研究から生まれた種を芽吹かせ、成果を社会へ還元することは大きな意義がありますね。そのためには、長期的なビジョンを描ける研究環境がとても重要です。

与えられた研究テーマを目標として、実現するための努力はもちろん大事です。でもそれ以上に、日頃から「ちょっと変だな」と興味を持って観察することが大事です。そこから、新しい研究のフィールドが広がっていくと思います。
長期的なビジョンを持って研究に取り組むためには、大学という色々な発想を試せる場所が必要です。これからも学生たちと一緒に、自由な環境の中で「好奇心」を大切にして、研究を進めていきたいと思っています。

北岸宏亮(きたぎし・ひろあき)
同志社大学 理工学部機能分子・生命化学科 教授

2006年同志社大学大学院修了、博士(工学)。大阪大学での博士研究員を経て、2008年に同志社大学理工学部に助教として赴任。2009年に米国スクリプス研究所での1年間の在外研究を経験し、2014年に同志社大学准教授、2020年より現職。研究テーマはシクロデキストリンによるバイオミメティック化学。趣味は研究、家族と過ごす時間、ジョギング。


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