幸せな「働く」の形を考える

「自分の人生を他者に委ねない」方法をミュージシャン豊田勇造さんに聞いた

「働く」時間は思いのほか長く、私たちの人生にとって重要事項だ。

ハンケイ京都新聞の“幸せな「働く」の形を考える”では 「年齢を重ねてなお、働くことが楽しくてたまらない」と本気で思っている人生の先輩方を紹介していく。

今回取り上げるのは、関西フォークの第一線で活躍し続けるシンガーソングライター・豊田勇造さんだ。

豊田さんはマネージャーなしに、20代から70代になる今まで、音楽活動を続けている。

なぜ、そんな「独立独歩」が実現できるのか?
私たちは、その理由が知りたいと思った。

豊田勇三さんは、自分の信じる通りに、自分の力で歩み、世間に認められて、収入を得ている。
誰に束縛されるわけでもなく、誰におもねるわけでもなく。

組織によりかからない人の人生哲学は、幸せな「働く」の形を考えたい私たちに、ヒントを与えてくれる。

▽今回のキーワード

【独立独歩】
(どくりつ・どっぽ)

独立して自分の信じる通りにすること。
新明解国語辞典(第五刷)

シンガーソングライター・豊田勇造さん。73歳になる。この日はギターケースを手に、京都市内の喫茶店に軽やかに現れた。
■「神童」と呼ばれた子が中学2年でギターに出会い、のめり込む。

もし「ミュージシャンが憧れるミュージシャン」なんてランキングがあるのだとしたら、きっと上位に入選するに違いない。
有名なミュージシャンをはじめ、錚々(そうそう)たる顔ぶれが「憧れる」と公言してはばからないのがこの人、豊田勇造さんだ。
とはいえ、もしかしたらあなたは、豊田さんの名前を初めて聞くかもしれない。
事務所が大々的に広告を打つこともなければ、レコード会社がキャンペーンを張ることもない。
なぜなら、豊田さんは「自分の人生を、他者に委ねない」と決めたからだ。「豊田勇造音楽事務所」は、自分自身の活動を支える事務所で、所属アーティストは自分だけだ。

取材日は雨。「NO MUSIC NO LIFE」(音楽なしでは生きられない)と書かれたTシャツを着て、ギターとともに、豊田さんは自宅近くの喫茶店に現れた。

1949年、京都で5人兄弟の末っ子として生まれた。実家は乾物屋だ。豊田さんは目から鼻に抜ける賢さで、近所では「神童」と呼ばれていた。
「兄たちにはかわいがられました。でもやんちゃだったので、よく親には怒られていました」。
中学は、京都市内で指折りの進学校として知られる、私立洛星中学校へ。
当時は病気がちな父の支えになりたくて、医者を目指していた。

ところが、中学2年の秋に人生が変わる出会いがあった。
「洛星中学と高校は同じ敷地内にありました。高校の校舎から音楽が聞こえてきたんです。
心が熱くなって、なにも考えず、先に体が動く体験なんて初めてでした。廊下を走って行ったその先、ドアを開くと、高校の先輩たちがギターを弾いたりドラムを叩いたり。文化祭の練習をしていました」。
無我夢中で「自分も一緒にやらせてもらえませんか?」と尋ねた。
「ともかくギターもってこいよ」との返事だった。早速、
2番目の兄に相談したところ、国産ギターの草分けで知られるカワセ楽器のブランド「マスター」を渡してくれた。「いいギターじゃないか」という一言で、参加を許された。

その高校生たちのリーダー格の一人だった、大人びた高校生が、1960年代後半から日本を席巻した「ザ・フォーク・クルセダーズ」の北山修さんだった。しかし中学生の豊田少年、当時はそんな未来を知る由もない。
同じ中学生の仲間を集めて、豊田さんは軽音同好会をつくった。カトリック教会のバザーや地蔵盆で演奏を重ね、同じメンバーで高校2年まで活動した。

 

(写真:本人提供)
■「音楽で生きる」と決めて自分に課したルールとは?

高2の頃、「自分の気持ちを伝えたい」という思いが強くなり、自分の言葉で歌を作るようになった。
言葉があふれだしたのは、1960年代~70代にかけて起こったベトナム戦争がきっかけだ。
「人と人が殺し合うことをしないでほしい。戦争反対!」の気持ちを、歌詞をつむいでメロディに乗せた。

影響を受けたのはボブ・ディラン。
「首からハーモニカぶらさげて、あなたを真似して旅に出た」と歌詞にするほど、心酔した。
音楽にのめりこむ時間が長くなるのに反比例して、学校の成績はガタ落ちだった。朝早く起きて勉強もした。
一方で映画を観に行ったり、高校の仲間とボーリングをしたり。音楽だけでなく、学生生活を楽しんでもいた。
「仲間と遊んだり、好きなことをすると感性が豊かになる。
勉強も映画も、今、音楽のためになっているとはっきり言えます」。

しかし大学受験では、受けた学部すべてに落ちた。神童と呼ばれた少年の、初めての挫折。
浪人をして予備校通いをした。とはいえ、音楽を休むことなく、予備校で歌うこともあった。
一浪して同志社大学経済学部に入るが、20歳のときに大学をやめると決める。
豊田さんは、自分が人生でなにをしたいかを、突き詰めたのだ。

「ネクタイをしたくない、早起きは苦手。そんな自分は何をして食っていくのがいいんだろう?将来を考えたとき、消去法で『自分が歌って食べていけたらいいな』と思えたんです」。
大前提として、「自力で稼いで生きていく」という強い意志があった。
五人兄弟で、親のすねなんてかじれるわけがない。もちろん、音楽で食べていくことが、簡単ではないことは知っている。安定収入も期待できない。
このとき豊田さんは自分にルールを課した。

一つ目は「車の運転をしない」。万が一事故を起こしたときのリスクが大きすぎるからだ。
もう一つは、「あまりお金のかからない暮らしをする」。音楽で生きていくなら、収入に波があるだろう。
少ないときもあるなら、収入に合わせて生活すればいい。
その頃の気持ちを歌詞にした「俺はかけだしの歌うたい、キャベツばっかり食べてた」なんて歌があるほどだ。
そのときから半世紀が経つが、70代の今もこれらのルールは守り続けている。

(写真:本人提供)
■音楽活動のために他者とつながっていく

「音楽で生きる」。そう聞いてイメージするのは、音楽事務所に所属して、マネージャーに仕事をとってきてもらい、収入を得る。
その代わり、自分を商品として、たとえばドラマの主題歌やCMソングとして採用されることを目指し、派手なライブをして露出して曲を売っていく。そんなスタイルだろう。
事実、私たちが口ずさむ多くのアーティストたちの歌は、その仕組みに乗って「売れてきた」。
「確かに、事務所は仕事を管理してくれる長所がありますが、自分で好きなように決められない短所があります。
自分で自分のスケジュールが決められない。
報酬なしで出たいライブがあっても、それは商品を無料で売ることになってしまうから、許されるとは限らない。主導権は事務所が握ることになる。でも、人生の主導権は、自分で握っていきたい僕にとって、
独立しているほうが合っているんです」。

では、豊田さんは独立独歩を実現するために、どんな努力をしているのだろうか?
すなわち、あらゆる雑用と手間を自分で引き受けると選んだ豊田さん。
彼の手帳は、驚くほど分厚く、あらゆる情報が書き込まれている。
スケジュール管理はマネージャー任せで、名刺ももたないアーティストとは対照的だ。

「この手帳はほんの一部。自宅には出会った人何千人の名刺にその人の特徴を書き込んだノートがある」とこともなげに続ける。

「歌は聞いてもらえる人がいて、初めて成立する。
だから、音楽で生きるということに、人とつながることが含まれています。
ギターの弦を張り替えるのと同じくらい、人とつながることは大事なんです」。
予定がびっしり書き込まれた手帳。6月は北海道のツアー、7月は京都から熊本、宮崎、長崎、福岡、広島。

「コロナの時代だけれども、人前でギターが弾ける、声が出せる。
ライブができるのがうれしくて仕方がない。
歌を通じて、自分の気持ちがわかってもらえる。気持ちの循環が起こる。聞き手と僕ら、それぞれの人生が混じり合う一瞬は、『豊か』ってことそのもののような気がします」。

2019年京都の円山公園音楽堂で行われた70歳記念の記念ライブは大盛況。
今年7月の京都ライブ、チケットは売り切れだった。豊田さんの音楽を聴きにくる人たちは、気持ちの循環が起こる心地よさを知っているのだろう。

(写真:本人提供)
■「自分自身で思っているより、私たちは自由だ」

まだ、自分がどんなふうに他者から評価を受けて、自分がいかに受け入れられるか不安な人にとって、
働いてからの話は先のことに聞こえるかもしれない。
でも、仕事に出会うための就職活動はひとつの通過点に過ぎない。「働く」は続く。

豊田さんは、どうやって生きていきたいかの「自分の思い」を先に人生を組み立てた。
楽曲の内容だけでなく、その生き方も含めて、前述した「ミュージシャンが憧れるミュージシャン」という位置付けにつながるのだろう。
独立独歩する人の音は、心に響く。

自分自身で思っているより、私たちは自由だ。どんなふうに生きていってもいい。

まだ若きあなたへ、いろんな選択肢を視野に入れてほしい。
批判におびえることなく他者とつながり、意見を交わして、自分の道を決めてほしい。
想像以上に、生きる先には豊かな世界が広がっているのだから。
(2022年8月30日発行 おっちゃんとおばちゃん vol.30掲載 文・呉玲奈(『おっちゃんとおばちゃん』副編集長))

■20代から変わらない豊田勇造さんのスタイル

1977年、27歳のときに京都のライブハウス・磔磔でギターを弾く豊田勇造さん。当時と今もスタイルは変わらない。(写真:本人提供)

▽豊田勇造公式ウェブサイトhttp://toyodayuzo.net/


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