ハンケイ5m

「差があればあるだけ面白い。その奥深さがボッチャの一番の魅力」

年齢や性別、障がいのあるなしに関わらず、誰もが一緒に楽しめるスポーツ「ボッチャ」の競技者
高田信之さん

暦の上では春を過ぎたものの、まだ肌寒さが残る2月末。大阪市東住吉区の長居公園内にある大阪市長居障がい者スポーツセンターを訪ねた。大柄で屈強そうな体躯の高田信之さんは「そろそろ散髪に行こうかと迷っていた時期なんです。撮影あるんなら、髪、切っといたらよかったな」と、冗談めかして笑った。「金髪にしたり、モヒカンみたいにしたり。『髪のあるうちに遊べるだけ遊んだれ』と思って、髪型は散髪のたびに、毎回変えてるんですわ」。そう言って見せてくれたスマホの画面には、金髪を逆立てた自撮り写真。ちょっとやんちゃでひょうきんな「大阪の兄ちゃん」の雰囲気が、高田さんによく似合っている。

ヨーロッパ発祥のパラリンピック正式種目「ボッチャ」の競技者として、国内トップレベルを競う高田さん。20代の時に海で事故に遭い、脊椎損傷の怪我を負った。それからほどなくしてボッチャに出会い、スポーツとしてのボッチャの奥深さに魅せられた。以来、競技歴はまもなく20年になる。

「痛いことは嫌いなんで、イバラの道は歩かない。楽しいことを優先して、のらりくらりと生きていけばいいと思うんです」。ストイックな求道者ではない。でも、そこがいい。力み過ぎず、追い込まず、自然体でゆったりと構える。それが、高田さんのスタイルだ。「しんどかったら、逃げればいいんですよ。逃げた先で、また、楽しいことを探したらいいじゃないですか」。

■末っ子の甘えん坊。兄たちを追いかけ、水泳に打ち込む

大阪府東大阪市で、3人兄弟の末っ子として生まれた。長兄とは5つ、次兄とは4つ年の離れた「甘えたの、あかんたれ」だったという高田さん。兄たちの影響で小学校の低学年の頃から「キン肉マン」や「北斗の拳」の漫画やアニメにはまり、当時開局したばかりのラジオ「FM802」で流行りの音楽を聴いた。

水泳を習っていた兄2人に続いて、小学5年生で本格的にスイミングスクールに通い始める。「勉強は嫌いでしたね。体動かしているのが、性に合っていた」といい、中学、高校と水泳に打ち込んだ。

「水泳選手としては、大阪府下で10番目くらいの成績でした。それで、水泳で大学推薦を取ろうとしたけど、あかんかった。高卒で働こうと思ったんですが、父親に『大学だけは出とけ』と言われまして」。関西大学文学部教育学科の夜間に進学し、昼間は働きつつ、教員を目指して大学に通った。教育実習も終えて、順調に教師への道を進んでいた最中、授業のあり方を巡って大学の担当教授と衝突する。「まあ、若気の至りですわ」。教員免許を取得するために必要だった単位を自ら放棄して、卒業後は水泳のインストラクターの職に就いた。

家族との誕生日会。

「地元の区営プールで、そこに通っているおじいちゃんとかおばあちゃんが『膝が痛い』『腰が痛い』と。それを聞いて、そういう体の痛みを治せるようになりたいな、と思いました。それで、理学療法士を目指そうと考えたんです。その矢先でした」。

2003年7月、24歳の時のことだ。遊びに行った海で事故に遭い、脊椎損傷の大怪我を負う。運ばれた先の病院で医師から「二度と立つことはできない。もしかしたら一生、ベッドの上で生活することになるかもしれない」と告げられた。

「それは納得がいかんかった。リハビリ、一生懸命やりました」。大怪我からのリハビリに励む中、担当の理学療法士からスポーツを取り入れることを勧められる。「水泳、車いすバスケット、ボッチャ。選択肢は3つあったんですが、水泳はもう十分やったし、車いすバスケットは腕の筋力を鍛えるのがしんどそうで。消去法で選んだのが、ボッチャやったんです」。しんどいことから逃げた先で出会った、楽しいこと。それが、高田さんにとってのボッチャだった。

友人たちと忘年会をしたときの一枚。「コロナの影響で、しばらく集まれていないので、また集まりたいですね」。
■さまざまな「差」によって勝ち方も多様。それがボッチャ

イタリア語で「ボール」を意味するボッチャは、目標となる白いボール(ジャックボール)に向け、赤と青のチームや個人に分かれてそれぞれ6球ずつのボールを投げ、どちらがより目標に近づけるかを競う。ボールを手で投げられない場合は足で蹴ったり、滑り台のような専用の道具で転がしてもいい。もともとは重度脳性麻痺や手足に重い障がいがある人のために考案されたスポーツで、年齢や性別、障がいのあるなしに関わらず、誰もが一緒にプレーできる。

「障がい者って一括りにされるけれど、一人ひとり条件は違うし、個性が違う。指一本動くか動かないか、それだけでも変わってくる。ボッチャはプレーする人の個性が顕著に出ます」。高田さんは、その個性の違いこそ「ボッチャの一番の魅力」だと言う。

「個性の差を、戦略や戦術でいかに埋めるか、そこが面白い。健常者であっても障がい者であっても、差があればあるだけいろんな方法が考えられる。正解はないし、なんぼやっても答えが出ない。だから終わりがないんです」。

高田さんにとって、忘れられない試合がある。2019年6月に静岡県で開かれた第21回日本ボッチャ選手権大会・西日本ブロック予選会の個人戦。目標球の手前に集まっていたボールの壁を崩そうと、狙いを定めて完璧なショットを決めた、つもりだった。「きれいに当たったんです。でも、相手のボールはピクリともせんかった。不思議でしたよ、ほんと。頭の中が『?』でいっぱいになりました」。結局、最後まで壁を崩すことはできず、試合には敗れた。「崩せなかったことにこだわって、冷静さを失くしたのが敗因でしたね。でも、トライ・アンド・エラーです。次こそは、試してみたい手があります」。

現実は時に、予想を大きく超えることがある。いつだって冷静に、バランスを取り続けることは難しい。だからこそ、「のらりくらり」と生きていく。これが高田さんの人生の極意だ。

母と兄家族と飛騨の合掌村へ旅行に。

(2022年4月1日発行 ハンケイ5m vol.3掲載)


「ハンケイ5m」手をのばせば、すぐふれられる。そんな世界を知るマガジン。

▽ハンケイ5m公式インスタグラム⇨https://www.instagram.com/hankei5m_official/


sponsored by 株式会社アドナース