ハンケイ5m

「旅館ならではの京都の時間を味わってほしいから。誰にとっても、やさしい旅館であるように」

東山と鴨川を望む絶好のロケーションが楽しめるバリアフリー旅館「平安荘」
女将・川村壽子さん、夫・弘樹さん

「旅の楽しみ」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう。思わず目を奪われるような絶景か、はたまた、季節の食材が織りなす素晴らしい料理だろうか。長い歴史が息づく京都の街は、心躍る旅の楽しみが詰まっている。訪れる度に新しく気付き、通うほどに知る奥深さこそ、京都を旅する魅力といえる。

そんな京都の街の中心部、四条河原町にほど近い木屋町通仏光寺に、三代続く旅館「平安荘」はある。女将の川村壽子さんと夫の弘樹さん夫婦2人で営む小さな旅館ながら、足繁く通う常連客も数多い。

高瀬川沿いの桜並木に面した「平安荘」の門をくぐり、一歩、打ち水に濡れた石畳みの路地に踏み入る。街の喧騒はたちまち遠のき、昔ながらの京町家の佇まいを残した建物が静かに出迎えてくれる。目前を流れる鴨川のせせらぎと東山の峰々を望む客室は、静謐さとくつろぎに満ちている。

宿は、やはり旅館が良い。豪奢なホテルでは決して味わうことのできない、温もりと呼ぶべき旅の時間が、京都の旅館には確かにある。

そんな「京都の旅館ならではの時間」を、もっと多くの人に味わってもらいたい。車いすでも、障がいがあっても、全ての人たちに同じように「京都の旅」を楽しんでほしい−。その思いから「平安荘」は2021年春、1階客室をバリアフリー対応に改修した。

「誰にとっても、やさしい旅館であることを目指しています。旅館ならではの京都の時間を感じて、くつろぎながらお楽しみいただきたいです」。

■使う人の目線で追求した「使いやすさ」

入り口のスロープ、車いすの高さに合わせたテーブルやシンク回り、広々としたトイレ。壽子さんの言葉通り、部屋の随所に、おもてなしの心配りが満ちている。

とりわけ、トイレはこだわりが詰まっている。車いすでも楽に出入りできるよう間口は大きく取り、可動式の手すりを取り付けた。利用者と介助者の双方にとって使いやすい設備となるように、設計士と何度も議論を重ねたという。

入り口から一直線に移動できるテラスも、もちろん車いすに対応している。向こうには東山の景色が広がり、すぐ足元を流れる鴨川には水鳥たちの憩う姿が見える。まさに「京都らしさ」がぎゅっと詰まったロケーションは、何よりも贅沢だ。

「春夏秋冬、折々の風景が楽しめます。特に桜の時期は見事ですね。車いす利用者の方は『こんなところ、初めて来たわ』と喜ばれる方も多いです」と話す壽子さん。昔ながらの木造建築は段差も多く、バリアフリーに対応した客室への改修は容易ではなかった。

ベッド横の車いすの高さに合わせたシンク。使う人の目線で、内装や設備へのこだわりが随所に散りばめられている(上)/介護者が入っても十分なスペースのあるトイレ。おむつを入れるゴミ箱をトイレに設置するなど配慮が行き届く(下)

原動力になったのは、長男の晴樹さんの存在だ。晴樹さんは生まれた時から脳性まひがあり、現在も寝たきりで介護を必要とする。

壽子さんは子育ての中で、障がいの有無によって選択肢が限られてしまう現状を実感した。そこから、バリアフリー対応の旅館という新たな発想が生まれた。

「晴樹がいてくれたから、今がある。旅館業のアイデアだけではありません。先代の女将である義母をはじめ、私たちと多くの人を、つないでくれたのも晴樹です。だから、ここまでやってこれました」と壽子さんはいう。

■女将として、母親として。

戦後まもなく1945年に創業した「平安荘」は、代々、女将が旅館を切り盛りし、夫は外で働くという形で続いてきた。時期によって収入が大きく変わる旅館業を、安定的に営むための工夫だという。三代目の弘樹さんも、2年前に60歳で定年退職するまでサラリーマンとして勤務していた。

壽子さんは26歳で幼なじみの弘樹さんと結婚し、1990年に晴樹さんを出産。脳性まひがあり、24時間のケアを必要とする晴樹さんの子育てを一手に担いながら、義母である先代の女将を手伝ってきた。

「晴樹のことを、本当に可愛がってくれるおばあちゃんでした。よくある嫁と姑の諍いが一切なかったのも、晴樹のおかげかもしれません」と壽子さんは笑う。その先代の女将もリウマチを患い、やがて介護を必要とするように。さらに、認知症となった義父の世話が重なる。

いやおうなく生活は介護中心となった。壽子さんいわく「ほっとする時間もないほど」の日々、訪問看護士やヘルパーさんの協力が助けになったと振り返る。

その頃、ふと目にしたテレビの番組で「車いすの京都旅行は、何十万円もの費用がかかる」と嘆く障がい当事者の声を紹介していた。

「晴樹を連れて旅行に行く時も、実際、泊まれるところといえばホテルしか選択肢がなかった。うちはせっかく旅館をしているんだから、車いすのお客様にも泊まっていただきたいと思いました」。障がいがある子を持つ親として、当事者の気持ちが痛いほど理解できた。

「車いすや障がいの有無に関わらず、同じように京都の風情を楽しんでもらいたい」。旅館の女将であり、晴樹さんの母である壽子さんの思い。実現を後押ししてくれたのは、夫の弘樹さんだった。退職金をバリアフリー改修の費用にあてようと提案する。「私が外で働いている間、妻が家の中のことを一手に引き受けてくれていましたから。晴樹が今、こうして生きているのも全て、妻のおかげです」。

介護が重なる日々の中で壽子さんが描いた夢は、弘樹さんの応援を得て、20年越しに結実した。

食事は希望に合わせお弁当を準備、見た目鮮やかなやわらか食弁当も好評だ。
■すべての人にとって、心地よい旅の時間を。

多様な人たちを社会や地域が包み込む「インクルージョン」、障がいがある人や高齢者を含めた全員が平等に暮らすことを目指す「ノーマライゼーション」という言葉がある。難しく考える必要はないだろう。障がいの有無で何かを分けるという考え方を、離れてみる。ただそれだけのことで、これまでと違う景色が見えてくるはずだ。
取材当日、支援学校からの幼なじみという晴樹さんの友人2人が、「平安荘」のバリアフリー客室に集まった。車いすの3人が、同じ場所で、同じ時間を過ごす。開け放った窓から入る風は、晩秋とは思えないほど暖かだ。陽光を受けて、鴨川の水面がきらきらと輝いている。

車いすユーザーが3人も入れるほどの広々とした客室。息子の晴樹さん(中央奥)と晴樹さんの支援学校時代の友人たち。

しばらくして、「ああ、そうか」と気付いた。「旅の楽しみ」とは、「生きることの楽しみ」でもあるはずだ。「おもてなし」とはきっと、「くつろぎ」を提供するための全ての努力をいうのだろう。

だから旅の時間は心地よく、どこまでもゆっくりと流れて行く。

「お客様の『ありがとう、また来るね』という言葉が、何より嬉しいです」と壽子さんはいう。「旅館は人と人とがつながる場所。障がいの有無に関わらず、すべてのお客様にくつろいでいただけるように」。女将としての心構えが、十人十色の「旅の楽しみ」を作り出している。

(2021年12月20日発行 ハンケイ5m vol.2掲載)


旅館平安荘
住所:京都市下京区木屋町通仏光寺上ル天王町156
TEL:0753515101


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