サエキけんぞうの京都音楽グラフィティー

vol.03 高石ともやさんの凄い話!(その1)

(前回の続き)
ふと入った河原町三条の洋食屋さん「満亭」。なんと50年余り昔にはフォークの神様達がその店に集い、画家でもあった先代のマスターの作品を高石ともやさんが気に入り、1stアルバムのジャケットに採用したという。今はおだやかな店内が記憶する当時のムーブメント…その匂いにヤラれた僕は「高石さんと<この店>で昔の話を聴いてみたい!」と、2019年秋、イベントの開催を思い立った。

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おそらく僕の提案は相当に突飛なものだったんじゃないかと思う。でもマスターは「じゃあ、高石さんのマネージャーさんを紹介しましょ」と笑顔で応じ、高石さんファンという奥様も「この店でお話聞けたら嬉しいわ?」と大ノリ。後日、ほんとに高石さんのマネージャーさんの連絡先を教えていただくことになった。
勢いというのはおそろしいもので、全く面識のない連絡に緊張はしたけれど、メールで素直に事情を説明(もちろん満亭さんも乗り気であることも書き添えた)。ほどなく「満亭さんなら、いいかな」と快諾の報が伝わった。こうして高石さんや岡林信康さん 、その他多くの芸術家たちが集った大関八仙さん(先代マスター)のお店に、再び高石さんとそのファンたちが集まることになったのである。

そして訪れた2019年の秋の日曜日。正直、若干のアウェー感もあった僕は、これまで何度も京都でお世話になってきたバンヒロシさんにも助っ人をお願いした。集合時間の14時には無事に高石さんもいらっしゃった。ランナーとして国内外のマラソンやトライアスロンの大会にも数多く参加している高石さんは陽に焼けていて、ちょっとフォーク歌手ばなれした体育会系のたくましさがあった。「久しぶりだなあ、エビクリーム・コロッケが美味しいんだよなあ」と高石さん。マスターや奥さんもうれしそうで、早くも「やってよかった」とちょっぴりほっとした。

開演は15時。いつもイベントの「集客」は悩みどころだが、ファンは続々と集まってくれていた。テーブルが7個ほどの店内はすぐに満席に。ろくに宣伝もしていないのに、30人もの人が駆けつけてくれたのだ。こういうのは、ほんとうにありがたい。おかげでいつもは陶器のカップでコーヒーや紅茶を出すこの店も、この日ばかりは紙コップでの対応となった。ちなみに「イベントをやる」とはいっても、お店にはマイクやPAシステムがあるわけではない(つまり肉声のイベントだ)。当然ステージもないので、お店の一角をステージに見立て、真ん中に高石さんを、サイドを僕とバンさんで固めた。

そしてイベントがスタートした。冒頭はまずは高石さんのご紹介から。拍手と共に、いきなり高石さんはスックと立ち上がり、直立不動で「60年代のことってだれもまだまとめてないんです」と話し始めた。実際、70年代以降のことはたくさんの資料があるが、60年代のことは資料がないことが多い。だからこそ僕はこうして、つい様々なことを調べてしまうのだ。さらに高石さんはご自身を「サブカルチャー」と称し、京都のザ・フォーク・クルセダーズへの恩を口にした。高石さんからサブカルチャーという言葉が出るとは思ってもいないし、さらには敬愛するフォークルの名まで…。めぐりめぐって高石さんは、実は僕の「先輩」にあたるのかもしれない??

さてイベントの前半は、高石さんがフォークに目覚めるまでのお話だった。1941年、北海道に生まれた高石さんは、上京して立教大学へと進学したが、生活費を稼ぐために様々なバイトにあけくれた。中でもメインとなったのは住み込みで働いた小松川の蕎麦屋さん。毎朝4時から製麺し昼まで働いて学校へ(休みは年2回)、通学電車でやっと本を読み、合間には大好きな落語へ。相部屋だったこともあり生活はリュックサック一つで、時には色々な人のところを泊まり歩く。元祖「ランブリング・ボーイ(流浪の民)」な感じだが、高石さんはめちゃくちゃ働き者でもあった。1年半ほど働いたら蕎麦屋さんのご主人から「娘をもらってくれないか?」といわれるほど気に入られたらしい。

そんな高石さんがフォークに目覚める転機は大学5年目に訪れる。当時赤倉スキー場でバイトをしていた高石さんは「明日には大学に戻らなければならない」という3月31日、卒論のあとにまた勉強するのがイヤで、最後のお客さんのご夫婦が帰宅する車に乗せてもらった。
それが高石ともやさんの運命、ひいては日本音楽史の運命を変えたのだ!この車のご夫婦がいなければ、現在の高石さんはおろか、高石友也音楽事務所、岡林信康さん、その他、多くのフォーク・アーティストは生まれなかった。URCレコードも生まれなかったから、はっぴいえんどもどうか分からない!音楽という文化は、しばしばそんな頼りない縁によって作られていくのだ。
辿りついた先は大阪。通天閣の下で降ろしてもらったはいいものの、まずは「働かなければ」と、近くにあった蕎麦屋の屋台を3カ月手伝うことにしたという。転機が訪れたのは、まさにその最中のことだ。生まれて初めて「ギター」を買ったのだ!

なんと日本のフォーク歌手の第一人者である高石さんのスタートが、米国のフォーク・アーティストを地でなぞるような「流浪のシンガー」だったとは…。知られざるエピソードの数々に心底驚いたが、それは長年のファンも同じだったようだ。みんな息を飲んで聞き入っている。そして話はさらに進み…。(続く)


サエキけんぞう京都のライブ「未知との遭遇」
■2022年7月30日(土)開演 19:00@京都UrBANGUILD
山本精一 with DJ YAMA 二人パール兄弟(サエキけんぞう+窪田晴男)
予約 3,000円/当日 3,400円(いずれもドリンク代別)
予約問合わせ:live@hankei500.com


サエキけんぞう

アーティスト、作詞家、1980年ハルメンズでデビュー、86年パール兄弟で再デビュー、作詞家として、沢田研二、小泉今日子、サディスティック・ミカ・バンド、ムーンライダーズ、モーニング娘。他多数に提供。著書「歯科医のロック」他多数。2003年フランスで『スシ頭の男』でデビュー、2012年「ロックとメディア社会」でミュージックペンクラブ賞受賞。最新刊「エッジィな男、ムッシュかまやつ」(2017年、リットー)。2015年ジョリッツ結成、『ジョリッツ登場』2017年、『ジョリッツ暴発』2018年、16年パール兄弟30周年を迎え再結成、活動本格化。ミニアルバム『馬のように』2018年、『歩きラブ』2019年、『パール玉』2020年を発売。
▽サエキけんぞう公式ツイッターhttps://twitter.com/kenzosaeki