TOWA presents 岡田博和ものがたり

Vol.02 道を成す、不退転の信念。

1979年4月17日。坂東和彦の下に岡田博和たち30人の同志が集い、「東和精密工業株式会社」(現・TOWA株式会社)が設立された。その記念すべき第一歩について、TOWAのホームページは次のように記している。「『超精密金型』および『半導体製造装置』の製造販売を主な事業目的として東和精密工業株式会社を設立。(昭和54年4月17日)京都府八幡市に仮設工場を設け操業を開始、同時に東京営業所を開設」。
販売の拠点となる東京営業所を任されたのは、当時27歳と最年少の若さで創業メンバーに加わった岡田だ。前職から東京駐在の営業担当として活躍し、若手ながら数々の現場を乗り切ってきた。その度胸の良さを期待しての抜擢だった。

「技術屋として一流だった坂東会長は、ものづくりの仕事において妥協を許さず、とことんまで追い求める方でした。だから私自身も、物事に対して一切逃げないという姿勢で仕事に臨んでいました」。
スタートアップやベンチャーの世界では、俗に「千三つ」という言葉が使われることがある。志を持って立ち上げた事業が軌道に乗り、ビジネスとして成功する確率は「千に三つ」あるかないかー。成否を分つのは、困難から逃げることなく、常に前を見据えて歩み続ける覚悟の強さだ。
技術者として、最高峰の高みを目指す坂東。その背中を見て、岡田は自身に「最低1日に3社のあいさつ回り」というノルマを課した。
「何百件、何千件と電話をかけてアポイントを取り、営業に回りました。でも、仕事につながるのはそのうち、1件か2件くらい。なかなか簡単にいかないですが、とにかく毎日飛び回っていました」。

自社で手がける「超精密金型」、その技術力の高さには絶対的な自信がある。しかし、スピンアウトして間もない京都の小さな企業を相手にしてくれる会社は少なく、門前払いされることも珍しくなかった。それでも、岡田は自身に課したノルマを果たすため地道な営業を続けた。
「どこの会社を訪ねて、どういった方に会うか。全部自分で考えて、スケジュールを立てるわけです。コネも何もない中で、そのアポイントを取るのが、もう大変でした。でも、ステップを一つ一つ登っていかないことには、次のステージへ進めませんから」。
日本経済の中心都市である東京。そこで大企業と互角に渡り合うために、技術書や研究論文など専門文献も読み込み、ありったけの熱意で何度でもぶつかった。
「もう必死でね。20代の坊主が一生懸命に話している、技術的な内容もそれなりに説明できる、と。『それじゃあ、やってみようか』となったんじゃないですかね」。

不退転の熱意が、道を切り拓く。1社、また1社と、徐々に取引先が広がっていった。
岡田の中には常に「創業者の坂東を筆頭に、自分たちは『世界最高の技術』を持っている」という自負があった。どんな難題も、TOWAの技術をもってすれば必ず解決できる。その信頼が、岡田の覚悟を支えた。
時代は1980年代に入り、米国・シリコンバレーから始まった半導体産業の隆盛期へと、世界は大きく動き出していく。「超精密金型」で技術力の高さを証明したTOWAは、「半導体製造装置」の開発へと舵を切る。さらなる飛躍を目指して、次なる挑戦の幕が開けようとしていた。


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