きょうの挑戦者たち

京都の喫茶店文化を未来に残すために、消えゆく喫茶店を次世代につなぐ。

■山﨑三四郎裕宗(やまざき・さんしろう・ひろたか)さん
1975年京都生まれ。「フランソア喫茶室」「さらさ」で修業後、中京区に「喫茶マドラグ」を開店。「京都喫茶文化遺産」チームの中心人物。京都府喫茶飲食生活衛生同業組合(以下、喫茶飲食組合)の理事としてイベントなどさまざまな仕掛けも試み中。山﨑さんは「喫茶店はお客さんを受け止める存在でありたい。お客さんが快適に過ごせる街のオアシスが、喫茶店だと思うのです」と話す。
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学生の街、京都。戦後、学生が論議に華を咲かせ、文化人と交流する場は喫茶店だった。かつての学生が高齢になった今も毎日足を運ぶのはやはり喫茶店だ。しかし2000年代に入り、昔ながらの喫茶店が消えつつある。
減少の主な理由は、高齢化と後継者不足だ。有名カフェグループでのマネジメントを経て、中京区で喫茶店を営む山﨑三四郎裕宗さんは「喫茶店は放っておけばなくなってしまう」と危惧し、2016年に「京都喫茶文化遺産」というチームを結成した。

常連客にとって「いつもの味」に出会える喜びは大きい。山﨑さんは喫茶店だけでなく、京都の老舗洋食店「コロナ」主人から「コロナの玉子サンドイッチ」を受け継ぎ、喫茶店で提供している。

約10名のメンバーは状況に応じて招集される。山﨑さんが閉店を考える店主や店舗の大家から相談を受け、四条大宮「珈琲陣」、荒神口「リバーバンク」など5店舗を各メンバーが受け継いできた。
「受け継いだ喫茶店を未来に残すために、喫茶店経営者になったメンバーの支援にも力を入れています」。
最も重視するのは、メニューの味や仕入れ先、内装といった現在の店舗らしさを残して受け継ぐことだ。今までの店に足繁く通ってきたお客さんに喜んでもらえるようにしたい。「以前の喫茶店の匂いはできるだけそのままに」、新たな息吹を吹き込むのは容易ではない。

「喫茶マドラグ」の店内。惜しまれつつ閉店した「喫茶セブン」の趣を活かすために、当時の椅子や什器を今も使う。今の時代に受け入れられるように、一部を改装した。

「喫茶店を受け継ぐには、その店に愛着や強い思いを持っている人でないと難しい。自分たちの活動だけでは限界があるので、共感してもらえる人を増やしていきたいですね」。
山﨑さんが次世代につなげたいのは「街の喫茶店がある風景」だ。喫茶飲食組合の理事に就任した山﨑さんは、将来的に京都の事例を参考に日本全国に喫茶店を残す活動が広がっていくビジョンを描く。「京都喫茶文化遺産」チームの挑戦に終わりはない。

(2022年7月10日発行ハンケイ500m vol.68掲載)

<共同編集長コラム>
喫茶店で一杯のコーヒーを楽しむ。そのひとときが人生に与えてくれるものは、実は途方もなく大きい。そう気付けたのは、最近のことです。学生の頃によく通った喫茶店を思い返せば、コーヒーの香りとともに、ちょっとくたびれかけた布張りの椅子の座り心地や、テーブルに置かれた陶器の灰皿の冷たさや、擦ったマッチの先で揺らめくオレンジ色の小さな炎が、記憶のうちによみがえってきます。喫茶店の文化を未来へとつないでいる山﨑三四郎裕宗さん。山﨑さんが受け継いでいる一杯のコーヒーをめぐる喫茶店ならではの時間は、熾火のように、心の中で温かな記憶として残り続けるに違いありません。(龍太郎)

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私も挑戦者です

昔ながらの喫茶店を次世代につなぎ、京都の喫茶店文化を未来に残す活動を広げる山﨑三四郎裕宗さんの挑戦と同様に、三洋化成も、化学のちからで化学の枠を超えてイノベーションを起こし、持続可能な社会づくりに挑戦しています。

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