<出会う>京都のひと

「お客さんのひとくち目の表情が知りたくて、作業中でも見に行きます」

おなかと心を満たす、いつもの大衆食堂。
松乃家 3代目店主 前田智史

■母考案のかつ丼を越えたい

時計は18時すぎ。入店時は私たちも入れて2組ほどだったが、満席になるまでそう時間はかからなかった。奥では頭にタオルを巻いた店主の前田智史さんがくるくると厨房内を移動しながらうどんを茹がき、時には鍋をあおる。一朝一夕では到達できない無駄のない動き。学生バイト君らとの連携プレーもお見事で、ついじっと見入ってしまった。

名物、かつ丼790円。丼からはみ出さんばかりの豚カツ。「お腹一杯になって欲しい」という作り手の愛情が伝わってくる。体育会系の学生も大満足の大盛りはプラス200円で。

祖父と祖母、そして両親が営む家族店。前田さんは1937年創業の「松乃家」の3代目として生まれた。
「小学生の頃から常連さんから『将来はうどん屋さんやな』といわれていて。店を継ぐんやろうなというイメージは当時からありましたね」。
高校卒業後に和食レストランに就職した後、実家の厨房に入った。その当時はまだ純粋なうどん屋だったが、父親の代で現在も仕込みを手伝う母親の提案で学生に向けた丼や定食類を増やした。また学生のリクエストに応えるうちに、現在のような食堂スタイルになったそうだ。母が考案したボリュームたっぷりのかつ丼が一番人気、目当てのファンは多い。

うどん、そば、細ストレートの中華そばを毎日仕込む。自家製麺ならではのコシのある焼きそば690円も人気メニューだ。

■うどん屋の矜恃(きょうじ)、本格自家製麺を始める

転機は10年ほど前。麺の組合の研修で訪れた、東京での出来事だ。「周りの人は麺について熱く語ることができるのに、僕は語れなかったんです」。この経験が前田さんの負けん気に火をつけた。店で使う、うどん・そば・中華そば、すべての麺の行程を見直し、変更したのだ。2001年、国家試験である麺料理専門調理師の資格を取得。さらには「京都府の現代の名工」(京都府優秀技能者表彰受賞者)も受賞した。
普通ならば高らかにアピールするところを、不思議なことに品書きのどこにも「京都府の現代の名工」、ましてや「自家製麺」の文字すらも見当たらない。すると前田さん、はにかみながら「食べてもらったらわかるかな」。壁に飾られた表彰状にも、「まだ発展途上ですから」と、慢心する様子はまったくない。

鹿児島県知覧産の薩摩赤玉子を絡ませた釡玉うどん680円。

■自分のうどんで母のかつ丼を越えたい

なかなか越えられない壁である、母のかつ丼に負けない名物を自分も生み出したい――。前田さんは忙しい作業の合間を縫って、新作の開発にも勤しむ。
「新作の注文が通るとドキドキしますね。新作を食べたお客さんのひとくち目の表情が知りたい。作業中でも手を止めて、見に行くぐらいです」。
そんな前田さんが最も食べて欲しい一杯は、うどんそのものの味が際立つ定番の釜玉うどんだという。
早速、注文してみた。口に入れると、まるで春の太陽の下で干した布団のように、フワフワとやわらかい。しなやかな弾力も感じられる。率直に、ライターYはそのおいしさにいたく感動した。
「松乃家」は地域に愛される食堂だ。そして美味なるうどんの店でもある。

(2021年1月10日発行 ハンケイ500m vol.59掲載)

昔ながらのうどん屋の佇まい。

松乃家

京都市上京区室町通今出川上ル裏築地町96
▽TEL:0754513062
▽営業時間:11時~16時、17時~21時
▽定休:日、祝日は不定休

最寄りバス停は「烏丸今出川」