ヤノベケンジの世界から語る現代アート

奈良美智との邂逅《Blue Cinema In The Woods / 青い森の映画館》

《Blue Cinema In The Woods / 青い森の映画館》

鉄、アルミニウム、ガイガー・カウンター、他
237cm×184cm×160cm
2006年
photos: 豊永政史


2006年夏、青森県弘前市にある吉井酒造煉瓦倉庫で『AtoZ』という展覧会が開催された。今や世界的に知られる現代美術家の奈良美智が、出身地である弘前市でクリエーターグループgrafと企画したものだ。アルファベットのAからZまでになぞらえた26の小屋を設置し、その中に奈良と、ヤノベをはじめ奈良と交流の深い8人のゲストアーティストの作品を展示する、という趣向だった。ヤノベはこの展覧会で《Blue Cinema In The Woods / 青い森の映画館》と題した作品を出展した。2004年に制作した《Torayan: Cinema in the Woods / トらやん:森の映画館》の別バージョンとして生まれたこの作品は、小屋の入り口で「トらやん」が放射線を感知しながら踊っている。小屋の中には、白い象の背中が支える子ども専用映画館を設置した。そこでは、ヤノベの父が腹話術で操るトらやんから子どもたちに向けて、生き延びるためのメッセージを伝える映画が上映された。「奈良くんは、自分の生き方や作品をきちんと見てもらえる存在。僕にとっては自分自身の立ち位置を知るための、星座みたいなもの。奈良くんも同じように、僕を見ているんじゃないかと思う」とヤノベは語る。

ヤノベと奈良が初めて顔を合わせたのは、1994年のことだ。ヤノベはベルリンに滞在し制作活動を行なっていた。その頃、ヤノベと同窓の京都市立芸術大学出身で関西で活動していた美術家・松井紫朗が、同じくドイツのケルン郊外にあるケンペンという町にスタジオを構えていた。すでに著名な彫刻家として活躍していた松井が「友達で、すごく絵が上手いひとがいる」と言ってヤノベに引き合わせたのが、当時、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学び作家活動をしていた奈良美智だった。

ヤノベは90年代から、サブカルチャーである漫画やアニメ、特撮映画などの中にこそ時代を超えるような美の哲学があるのではないかと考え、独自の美意識を立体である彫刻作品として表現しようと試行錯誤してきた。そんな時に、同じく立体作品を制作する先輩の彫刻家である松井から「絵が上手いひとを紹介する」と言われ、未だ奈良の作品を目にしたことがなかったヤノベは疑問を抱いた。平面作品である絵画で「上手い」と言える表現などありうるのか、と。

松井のスタジオで初めて奈良と対面したヤノベは、奈良の作品を収めたポートフォリオを見て強い衝撃を受けた。奈良の描く作品は、日本のポップカルチャー、漫画やアニメが内包している美意識を、明らかに絵画に落とし込んでいたのだ。奈良の描いた絵を見たヤノベは「自分がサブカルチャーの中の美意識を探っている行為と、全く同じ行為だ」と直観した。日本でも奈良美智の存在は、ほとんど無名と言っていい時期だ。こうしてヤノベと奈良の交流が始まり、やがて互いの家やスタジオを行き来し、構想中の作品を見せ合うまでの仲になった。

98年にヤノベは日本に帰国する。その後、2001年に日本で初めてとなる奈良の大規模な個展「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」が横浜美術館で開催された。これを機にSNSで奈良を慕うファンのムーブメントが巻き起こり、一躍、世界的な存在となっていった。

ヤノベケンジ(右)と奈良美智(左)=2008年撮影、京都市左京区・京都芸術大学ウルトラファクトリーにて

しかしヤノベは、世の中が奈良を見出す以前から、自身の価値観に非常に近い手法で作品を制作し、サブカルチャーを表層的になぞるだけでなくその内奥に潜む人間の真理に深く迫り、ある種の宗教画のような力を持った奈良の絵画を理解していた。「作家としても、お互い意識しながら作品を作っている。世の中の評価や作品の価格とは別にして、僕にとって奈良くんは自分の作品を知るための、信用できるクリエイターであり続けている。だからこそ、自分の作品ときちっと向き合うという精神を保つことができている」とヤノベは語る。
ヤノベにとって『AtoZ』は、日本のポップカルチャー黎明期の90年代に奈良と出会って以来、同じ現代アートいう領域で新しい表現を追求し続けている良き友との対話でもあったのだ。

ヤノベケンジ

現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。https://www.yanobe.com/