ヤノベケンジの世界から語る現代アート

龍神伝説に重なる《The Dragon Bridge(龍の橋立)》

《The Dragon Bridge(龍の橋立)》

アルミニウム、FRP、他
1,000×450×1,530cm
2009年

京都府宮津市の史跡丹後国分寺跡は、名勝地として名高い「天橋立」を見下ろす小高い丘に位置している。11月5日からの3日間、この場所でヤノベケンジの《ラッキードラゴン》(2009)のファイヤーパフォーマンスが行われた。

国分寺とは奈良時代に天然痘が流行し、幾多の命が疫病によって奪われるという危機に際して、その終息を願って建立されたものだ。奇しくもコロナ禍の終息に向けて“終わりの始まり”を迎えた今の時期に、《ラッキードラゴン》は疫病終息の願いが託された土地で炎を噴き上げた。ヤノベはその炎に祈りと希望を込めて、夕闇の中に祝祭的な空間を作り出した。

今回のファイヤーパフォーマンスは、京都府内の各所で展開されたアートフェスティバル「ALTERNATIVE KYOTO もうひとつの京都 想像力という〈資本〉」(9月24日〜11月7日)にヤノベが出展した屋外インスタレーション《The Dragon Bridge(龍の橋立)》(2021)の一環として行われた。

ヤノベは「かつて疫病を収めるために建てられた国分寺の跡であり、龍の伝説が残る天橋立を望む場所に、コロナ終息の兆しが見え始めた今のタイミングで展示できたことは感無量だ。単なるエンターテインメントに留まらず、疫病を払う儀式のような祈りを込めて、時代とシンクロするイベントになった」と語る。
約6,700本の松と白砂が織りなす「天橋立」の風景は、古くから「龍」の姿に例えられ、龍神にまつわる伝説や神話も残されている。《ラッキードラゴン》は1954年にビキニ環礁での米軍の水爆実験によって被曝した「第五福竜丸」をモチーフにした作品だが、今回は「天橋立」に残る龍の伝説を顕現する存在として展示された。

そして、「天橋立」と《ラッキードラゴン》を結ぶ直線上には、巨大な突起が印象的な《ULTRA-黒い太陽》(2009)を配置した。会場の丹後国分寺跡には、かつての金堂と七重塔の礎石が残されている。ヤノベは「天橋立」と《ラッキードラゴン》の間に、金堂に見立てた《ULTRA-黒い太陽》を置き、ファイヤーパフォーマンスを七重塔へのオマージュとすることで、新しい「伽藍(がらん)」を形成しようと企図した。

ファイヤーパフォーマンスが始まる時刻が近づくと、親子連れをはじめ地域内外からの来場者が集まり始めた。皆の視線は、光が包む巨躯をじっと地面に伏せている《ラッキードラゴン》に注がれている。
《ラッキードラゴン》は、白、赤、青と光の色を変える照明を浴びて、夕闇が濃くなるに従い、神秘的な力強さに包まれていく。午後6時、《ラッキードラゴン》がゆっくりと頭を上げ始めた。あたりを見渡すように首を左右に振った後、その口から水が吹き出す。照明を反射して、水しぶきは光の粒のように輝いている。その中を一筋の炎が走った。龍の伝説が残る「天橋立」に向かって《ラッキードラゴン》は何度も炎を放ち、漆黒の夜空を焦がした。

「時代とシンクロした」と語るヤノベの意図は《ラッキードラゴン》を通して、確かに人々に伝わったはずだ。家族でファイヤ―パフォーマンスを見にきたという幼い少女の言葉が、そのことを証している。「私もいつか、こんな大きなものを作ってみたい。すごいものを作りたい」。少し興奮気味に話す少女の瞳は、アートが秘める力を目撃した驚きに満ちていた。ヤノベが構想した「炎の塔」、そして「炎の橋立」というインスピレーションはこの夜、まさしく想像力によって「もう一つの世界」を見る者の内に創出したのだ。

ヤノベケンジ

現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。https://www.yanobe.com/