<出会う>京都のひと

「お芝居は人間を探求すること。状況によって心理が変わるのがおもしろいんです」

発足して63年目を迎える劇団。
人間座 代表 菱井喜美子

■究極の役は母親

今も昔も学生の街・京都には演劇集団が多い。戦後まもなく京都大学に入学した脚本家・田畑実さん(故人)が1957年に結成した人間座は、人形劇団京芸と並ぶ京都の古株劇団のひとつだ。代表の菱井喜美子さんは77歳。現役の俳優として、スポットライトを浴びる。

ブレヒト作『肝っ玉おっ母とその子供たち』肝っ玉お母役。

■高卒後は俳優志望 腰かけのつもりで入団

菱井さんは京都市北区出身。中学のときに日本を代表する劇団・文学座の看板女優・杉村春子さんに憧れた。高校卒業後、上京する気で文学座に電話をするが「今年は新人の募集はない」との返事にがっかり。翌年までの腰掛けのつもりで入団したのが当時創立8年目、京大生の演劇集団が母体の人間座だ。

「当時京都で活躍していたのは毛利菊枝先生の劇団くるみ座。そこから独立したのが田畑でした。アカデミックなくるみ座とは違う作品がやりたかったのです」。

人間座の主な収入は、中学高校での移動劇場や東映撮影所への俳優の派遣、大学の講師だった。それだけでは食べられないので、皆、バイトで生計を立てていた。30人以上いたメンバーが結婚や就職を理由に続々と抜けていった。

「劇団員は4、5人まで減りました。私も抜け出そうと思うのに、抜けられなかった。夜、稽古場の保育園で一人、だるまストーブに火を入れて団員を待つ田畑の姿を見ていたら言えませんでした。人が減り、自分に大きい役がつくようになったのも抜けられなかった理由です」。

安部公房作『幽霊はここにいる』大庭トシエ役。後列中央で座っているのが菱井さん。

■他劇団の公演に場を提供 大いなる刺激を受けて

菱井さんが51歳のときの1994年、田畑実さんが69歳で亡くなる。バイトが収入源の暮らしは相変わらずで、劇団を続けるかで団員たちは悩んだ。田畑さんは遺言で建物を人間座に残した。菱井さんは代表を引き受けることに決めた。

「観客の皆さんからカンパをもらっていたし、なにより芝居を続けたかったんです」。

2000年に人間座の劇場ができて、他劇団の公演にスタジオを貸しはじめる。「MONO」の土田英生さん、「M.O.P」のマキノノゾミさんら関西出身の活躍する演劇人が訪れた。2020年12月までの期限で、新進気鋭の演劇の発表の場であり続ける。

「お芝居は人間を探求すること。状況によって心理が変わる。それがおもしろいんです。新しい人たちの劇は斬新で、なにをみても勉強になります」。

主婦、娼婦、情婦。菱井さんはいろんな女の役を演じてきた。自分自身は子どもをもつことはできなかったけれど、と前置きをして続けた。

「自分にとっての究極の役は母親。おふくろに行きつく気がします」。

今、演じたいのは田畑実作の『霰(あられ)の谷に』。骨の髄まで演劇人の菱井さん、母の役を演じるのは舞台だけではない。人間座を守ることで、次世代の演劇人を育てている。

(2020年7月10日発行 ハンケイ500m vol.56掲載)

住宅街にある人間座。

人間座

京都市左京区下鴨東高木町11
▽TEL:0757214763

もよりバス停は「高木町」