祇園祭を支える人々の想い

〈祇園祭2021〉受け継いだ伝統と新しい時代の合理性 祇園祭「鷹山」復興の軌跡、設計に込められた思い

■鷹山の実施設計を手がけた 末川協さん

大風雨による災禍で1826(文政9)年に失われて以降、資料や文献にその姿をとどめるだけだった鷹山。曳山(ひきやま)の中で最大級といわれる壮大な鷹山を、約200年ぶりに蘇らせたのが設計士の末川協さんだ。「過去の因習に縛られない、今日の祇園祭を体現するような存在です」と語る。

鷹山の実施設計を手がけた末川協さん

人が肩に担ぐ「舁山(かきやま)」から始まり、車輪を取り付けた「曳山」、さらに屋根が付いたものへと大きく変化してきた山。「完成形としての『鉾』は一定の軸組ですが、個別に発展した『曳山』はそれぞれに構造が異なります。鷹山はその意味で、オリジナルな曳山です」と話す。

伝統と合理性を兼ね備えた設計が、約200年ぶりとなる鷹山復興を実現した(京都府京丹波町・安井杢工務店)

屋形を支える柱は通常、漆の塗りが施された「化粧柱」と、木材そのままの「野柱」の2つを併用することが多いが、鷹山ではこれらを一体化して設計した。「化粧材は大工方、野材は手伝い方と呼ばれる作事方が扱うという決まりがあります。しかし、決まりにこだわることが、構造上の弱点になっている面もある」

鷹山の御神体である鷹遣(右)と犬遣(左)の人形(京都府京丹波町・安井杢工務店)

京町家の再生をはじめ、歴史を守りつつ、住む人や使う人など当事者の思いを取り入れた仕事を目標とする末川さん。鷹山の設計でも、新しい時代に相応しい合理性を大切にした。だからこそ、鷹遣、犬遣、樽負の3体の御神体人形を飾り、大人数の囃子方を乗せて巡行するという鷹山に課せらせた難題を、解決へと導いた。「懸装品をまとった鷹山を目にして、ますます誇らしい姿になったと感じました。無事に巡行できる日を楽しみに思っています」

鷹山の御神体である樽負の人形。「見送り」と呼ばれる後部の幕の間から、柔和な表情を覗かせる(京都府京丹波町・安井杢工務店)

疫病退散を祈る祇園祭。昨年に続き新型コロナウイルスの影響から、山鉾巡行や神輿渡御は中止となりました。平安時代の御霊会から千年を超えて続く祇園祭は、幾度もの災禍を乗り越え、その姿を変えながらも歴史をつないできました。来年は約200年ぶりに復原された鷹山が巡行復帰を予定しています。変化の時代にあって、歴史を守り伝えるために。祇園祭を裏方として支える人々の、新しい挑戦が始まります。
〈文/龍太郎〉

不自由な時代だから、寄り添う「祈り」を大切に

八坂神社権禰宜(ごんねぎ) 東條貴史さん

新型コロナの収束が見通せない中、今年も神輿渡御は中止としました。しかし、疫病退散を祈るという本義を守るため、昨年と同様に、榊を白馬に乗せた「神籬(ひもろぎ)」によって御旅所まで赴き、御神霊をお祀りします。
869(貞観11)年の「祇園御霊会」以来、幾多の困難を乗り越える中で変化を経て、今日まで祇園祭は続いてきました。昨年は本殿が国宝となる慶事もあり、改めて、祇園祭を通した氏子とのつながりの深さを感じています。
人々をつなぐ要として、新型コロナ禍で不自由な生活を強いられる方々に寄り添うような「祈り」を届けたいと願っています。

いつの時代も祇園祭とともに、文化と技術の継承こそ責務

祇園祭山鉾連合会 理事長 木村幾次郎さん

祇園祭を引き継いでいくのは、何よりも「人」です。縄絡みと呼ばれる伝統的な技を用いる山鉾建てをはじめ、次の世代の人たちへ技術や文化を継承して行くことは、祇園祭に携わる人間の責務です。2年続けて山鉾巡行は中止となりましたが、技術継承のため、山鉾建てについては行うことにしました。
京都の町並みがどれほど変わろうとも、祇園祭の山鉾は変わりません。来年は鷹山が後祭巡行に復帰し、全34基で山鉾巡行を行う意義深い年となります。
いつの時代にあっても、皆さまに祇園祭を見て頂けるように。変化を受け入れながらも、変わらないものを大切にしたいと思います。

(2021年7月9日発行 ハンケイ500m vol.62掲載)

<わたしたちは祇園祭を応援しています>