
「クラシックの素晴らしさを 理解できる人を増やしたいんです」
京都の住宅地に誕生した、小さな音楽ホール。
マリ・レスポアール 代表 村田真理
■やりたいことは全部やればいい
外観は京都らしい一軒家。まさかここが音楽ホールだなんて、誰が思うだろう。隣家に住む実の母が、土地を購入した。
「『あんた、この土地でなにしたい?』と母から聞かれて、とっさに出た言葉が『ホール』だったんです。母にはものすごく驚かれました」。

■人前で歌うのが好き そして、音楽の道に
両親はともに教師。客人が多い家だった。親が支度に追われるあいだ、得意の歌声を披露して客人を接待した。そんな少女時代を送った村田真理さん。当時の十八番(おはこ)は「ブルーライトヨコハマ」だ。
「『人前でなにかしたい』という想いが小さいときからありました。自分のホールがあったら、好きなときにコンサートができるのにって」。
6歳からピアノを通じてクラシックに触れ、と同時に吉本と松竹の舞台にも心酔。今も崇拝するのは喜劇王の藤山寛美だ。音楽への興味は尽きず、大阪音楽大学の声楽科に進学。学業のほか、ミュージカルや芝居にも打ち込んだ。
卒業後はビアホールの専属歌手に。時はバブル崩壊前夜。生演奏からCD、ピアノから自動演奏への過渡期でもあった。26歳、師の勧めで関西歌劇団に入団。「修道女アンジェリカ」の助修女役でオペラデビューを果たした。「レッスンを苦と思った事はない」。そう語る村田さんだが、唯一、音楽に触れるのが嫌になった時期がある。
「修了オペラ公演で20分以上に渡る独唱とアンサンブルがあり、覚えるのに苦労しました。あの時はとにかくしんどかったですね」。

■教えているから習わないといけない
音楽だけではなく、スキーもプロ級の腕前。学生時代からスキーインストラクターとしても活躍してきた。音楽も学生に教えながら、今年から新たな師に師事し、基礎からピアノを学び直している。
「教えているからこそ習わないといけない。音楽も、そしてスポーツも自分で限界を決めたら終わり。私の中には限界という文字はないです」。
民間には不可能と思える音楽ホールの設立もそうだ。音楽を広めるためには、聞く人、つまりクラシックの素晴らしさを理解できる人を増やす必要がある。それをかたちにしたものが、実家の母屋の隣に設けたこのホール。自ら図面を引き、理想の空間を創りあげた。
今や劇団も主宰する圧倒的なバイタリティ。その源はどこにあるのだろう。
「私、自分大好き人間なんですよ。音楽が自分、自分が音楽なので」。
次から次へとやりたいことが浮かぶ。ゆえに最終目標はない。
「やりたいことは全部やればいい、やっちゃえばいい。すべて自分のものにすればいいと思うんです」。
なんて力強い言葉だろう。呼応するように、ハートがジンと熱くなった。
(2019年11月10日発行ハンケイ500m vol.52掲載)

マリ・レスポアール
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