ヤノベケンジの世界から語る現代アート

vol.04 サヴァイヴァル・システム・トレイン

Survival System Train(サヴァイヴァル・システム・トレイン)

酸素発生コンテナ、蒸留水装置コンテナ、家財道具などサヴァイヴァル時に必要な機能をもつ様々なコンテナを有するヤノベケンジの私設列車。
鉄、モーター、ガラス他
無限大に延長可能 1992年

ヤノベケンジが「イエロースーツ」を制作した1991年。実はこの年、福井県美浜原発で、 2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断し、原子炉が自動停止、日本の原発史上初めて緊急炉心冷却装置(ECCS) が実際に作動するという事故が発生した。

奇しくも美浜原発は「大阪万博会場に原子力の灯りをいち早く灯そう !」と創設された原発で、1970年、太陽の塔の目を光らせた立役者。幼少期、ヤノベがその廃墟から希望を感じた大阪万博に深い関わりを持つ美浜原発の事故は、当時ヤノベに大きな衝撃を与えた。

「この世界で生きのびていけるのだろうか。このままでは世界は守れないだろう」。そんな社会的メッセージを、自身の美術作品に取り入れるきっかけとなった出来事でもあった。

「イエロースーツ」は鉄と鉛に覆われた放射能防護服で100kg以上ある。天秤で釣られていて自力では歩けず、生活圏はわずか半径100cm 。前号で紹介した、この美しくアイロニカルな作品の誕生には、現代美術家としてのヤノベの精神が現れている。美術史の文脈のために作品を作るのではなく、この世に存在し得る者として、「人類にとって必要な機能を持ちながら、 同時に美しさをあわせ持つ作品」を作りたい。既存の美術の枠組みにはおさまりきらない、美的探究心と社会的メッセージが、以後の彼の作品にはあらわれている。

サヴァイヴァル・システム・トレイン・フードコンテナ

1992年に制作した「サヴァイヴァル・システム・トレイン」。まさしく世界で生き残るための装置で、酸素発生コンテナ、蒸留水装置コンテナ、家財道具などサバイバル時に必要な機能をもつ様々なコンテナを有する私設列車だ。この作品が誕生したころから、ヤノベは「放射線を感知するセンサーを使って身を守る」ことに興味を持ち、それをリアルに伝える作品作りにシフトしていく。

「タンキングマシーン」の制作以降、ヤノベはいろいろなアスペクトを模索するようになった。そのひとつが、幼いころから アニメやコミックで幾度となく触れていた「サヴァイヴァル感」だ。それはますます、ヤノベの眼前で現実に起こっている出来事と重なるようになる。

1995年に起きた地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災。1994年から渡欧していたヤノベは、恐怖と不安にさいなまれている日本のニュースを、異国で知り、自分の中にリアリティーを持ち込むためチェルノブイリに行くビッグプロジェクトを立ち上げる。

2019年1月10日発行 ハンケイ500m vol.47 掲載)

 

ヤノベケンジ

現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。https://www.yanobe.com/