ヤノベケンジの世界から語る現代アート

vol.03 放射能防護服 イエロースーツ

Yellow Suit(イエロースーツ)

美浜原発事故直後に制作された、放射能障害対策の為の鉄板と鉛で覆われた放射能防護服。重量級のスーツを支えるための天秤状の錘は、植物光合成による酸素発生装置となっている。付属品に愛犬用スーツ、ガイガーカウンターなどがある。鉛、鉄、植物、ガイガーカウンター
230×300×300cm 1991年

前号で紹介した、日本のネオポップカルチャー黎明期の立役者になったタンキングマシーン。この作品を手掛ける前年の1989年、ヤノベケンジはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに留学していた。この留学経験は、彼がその後、現代アートを制作するための方向性、コンセプトを決定づけるものになった。

世界で名門の美術系の大学院大学への交換留学生1名に選抜されたヤノベは、ゴッホをはじめとした美術史にみるアーティストの作品を、日々ロンドンで鑑賞し続けた。教科書でしか見たことがなかった絵画の生々しい筆致、その作品から生み出される迫力に感動する傍らで、大勢の地元の小学生が彼と同様に、名画を鑑賞している姿を目の当たりにする。そのとき、ヤノベの中で混沌としていた自身の創作活動の指針が、明らかなものになっていった。「これらの作品が生まれた土壌で、幼い頃から育まれた審美眼には、僕は到底追いつかない」。 西洋の見事な作品の背景にある、独特の宗教観や世界観。これらすべてを把握し、新たな芸術、美を一から生み出すためには、日本で生まれ育った者には膨大な時間が必要になる。そう痛感したヤノベは、「自分にとっての美」の背景を想像した。「例えばミロのヴィーナスの造形美に匹敵するものを、僕が創造し得るなら、それはゴジラかもしれない」。マンガやアニメ、ゲームなどサブカルチャーに育てられたヤノベは、それこそが自分のオリジナルな美意識の根源であるとこのとき認識した。

ヤノベケンジ24歳のとき。

以後、ヤノベはサブカルチャーを引用しながら、美の核となるものを追求する作品を作り始める。その決意とオーバーラップするように、タンキングマシーンの翌年、1991年に発表されたのが「イエロースーツ」だ。表面は鉄板、内側には鉛板が張り巡らされており、放射線から身を守るために制作された鎧だ。100kg以上あるので、装着しても自力では動けず、天秤で釣られている。スーツの反対側は植物が生い茂っていて、酸素を吸い二酸化炭素をバラ ンスよく排出できる仕組みになっている。ブルーとイエローのポップなカラーリングで、愛犬と自分用の放射能防護服として作られたものであるが、わずか半径100cmほどの生活圏しか保てないという、ある種アイロニカルな側面も見せている。京都市立芸大の一室で、中華鍋やタイヤのチュー ブも材料にし、困窮しながらも完成させた思い出多い作品だ。(この作品の生まれた背景については次号で)

2018年11月12日発行 ハンケイ500m vol.46 掲載)

 

ヤノベケンジ

現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。https://www.yanobe.com/