
「生理的にシャッターを押さずにいられない衝動があるのが、写真家」
写真家が運営する写真集専門レーベル。
バッファロープレス 代表 横山隆平
■大阪、東京を経てそして京都へ
「カメラマン」と「写真家」、英語にすれば「Photographer」と同じだが、日本語ならではのニュアンスの使い分けがある。「カメラマン」は写真撮影の依頼を受けて撮る人を指す。一方で「写真家」は写真作家であり、自分の表現を重視する人だ。
横山隆平さんは自身の作品を発表する、後者の写真家だ。「写真を撮り続ける原動力はどこにあるんですか?」の問いに、こう答えた。
「出かけるときに、いつもカメラを持ち歩いてしまう。写真は、めしを食ったりトイレに行ったりするのと同じ、生の衝動。写真家は、生理的にシャッターを押さずにいられない衝動があるから、結局続けてる」。

■ファッションや音楽周辺のカルチャーから写真へ
横山さんは1979年大阪で生まれた。育ったのは茨城県。スケボーやファッション、音楽といったカルチャーが好きで、18歳で大阪の服飾専門学校に進んだ。
「モヒカンで紫のノースリーブとか。大阪のほうが、目立ってやろうという精神の、ぶっとんだ服の奴が多かった」。
服の広告づくりの授業で写真に出会ったが、本気になるのはまだ先の話だ。専門学校ではパリに卒業旅行にいく決まりだったが、その金を当時最新のiMacの購入に充てた。フライヤー作りを受注してデザインの腕を磨いた。
20歳になり、あてもなく東京へ。好きなカルチャーの周辺にいたくて、フリーターとして音楽スタジオで働いた。この頃から自分が普段遊んでいた渋谷区で、ストリートスナップを撮り始める。
22歳のとき、自分でデザイン事務所を立ち上げて「デザインで食い扶持を稼ぎ、写真は作家活動」を始める。
39歳になり、写真への気持ちが強くなった。どこにいても写真は撮れる。製作しやすい環境だったのと、祖父母の墓があった縁で、2018年京都に拠点を移した。

■インディーズレーベルで写真を元気にしたい
写真で生きていくと定めた横山さんは、写真集を出版するハードルの高さが気になった。写真集が売れない時代だ。出版社に「写真集を作ってほしい」と話しても、高額な自費出版しか応じてくれない。
「なんとかしたかった。そこで写真出版レーベルのバッファロープレスを立ち上げました。音楽業界のように小さくて個性的なインディーズレーベルがたくさんあれば、広がりが生まれるはず。バッファロープレスが写真集を元気にするきっかけになれたらいい」。
大阪、東京に住んだ経験をもつ横山さんは、三都の住人をこう比較する。
「東京は洗練されすぎている。大阪は目立とうとして変わった人が多い。京都はフツーに変わった人が多いのがいい」。
事務所を構えたのは、ここ堀川丸太町。これからの京都での出会いと新しい作品づくりに、横山さんは燃えている。
(2019年3月10日発行 ハンケイ500m vol.48掲載)

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