ヤノベケンジの世界から語る現代アート

vol.01 未来の廃墟から生まれた、ヤノベケンジの世界

Sun Child(サン・チャイルド)

魂の喜びを謳いあげる希望のモニュメント。来るべき未来像として、防護服を脱いでも生きてゆける世界を希求する祈りとメッセージが込められている。
FRP、鉄、ネオン、他。620×444×263cm。2011年。(協力:京都芸術大学ウルトラファクトリープロジェクトチーム)photo:KENJI YANOBE Archive Project

1965年、南大阪でヤノベケンジは生まれた。当時、テレビや映画界はSF、戦闘ブームの真っ只中。「宇宙戦艦ヤマト」や「仮面ライダー」に憧れる少年は、5才のとき、1970年大阪万博を新聞、テレビ、写真集などで体感していた。「6才の頃、大阪府茨木市に家を引っ越してね。やっと万博を間近で見られると思った」。家族で移った新居は、万博公園から自転車で15分の場所。大屋根を突き抜けてそびえ立つ「太陽の塔」、巨大ロボット、「デメ」。逸る気持ち、湧き起こる好奇心と共に、探検に行こうと向かった万博公園で、彼が遭遇したものは、『人類の進歩と調和』の世界が崩壊するシーンだった。「パビリオンが鉄球で潰されていく様は、特に印象に残っているね。未来が終わっていく感じ」。しかし、決して悲しいわけではなかった。むしろヤノベケンジの目は爛々と輝き、希望に満ち溢れていたのだ。「こんなに何もかも無くなってしまった未来世界、僕が一から何でも作っていいんじゃないか!」。眼前で崩れゆくロボットは、未来で一体どんな役割を担うはずだったのか、未来はどんな風になるのだろう、僕はこの失われし都市から、何が作れるのか。そんなイマジネーションがヤノベケンジの心を掻き立て、空想力をどこまでも広げていった。今日へと続くヤノベケンジの世界は、まさにこの「未来の廃墟」からはじまった。

6才のとき。万博公園に近い、茨木市の新居付近で。

手塚治虫、赤塚不二夫はもちろん、SFやギャグ漫画を読みあさり、いわゆる「オタク」入門をしていた小学校5年生のとき、ヤノベケンジはたった一人で漫画を制作する。「藤子不二雄の『まんが道』で、同人誌を作るシーンがあってね。あんなにクリエイティブでドキドキすることは初めてで、自分でもストーリー漫画やギャグ漫画をいろいろと真似て作ってみた。厚めの本を学校の皆が回し読みしてくれて、正直、ウケたら嬉しかった」。作品があれば、作品があってこそ、自分の世界が認められる。ヤノベケンジが最初にそれを覚えた、少年期の出来事だ。

2018710日発行 ハンケイ500m vol.44 掲載)

 

ヤノベケンジ

現代美術家。京都芸術大学美術工芸学科教授。ウルトラファクトリーディレクター。1965年大阪生まれ。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年初頭より、「現代社会におけるサヴァイヴァル」をテーマに実機能のある大型機械彫刻を制作。幼少期に遊んだ大阪万博跡地「未来の廃墟」を創作の原点とし、ユーモラスな形態に社会的メッセージを込めた作品群は国内外で高評価を得る。1997年放射線感知服《アトムスーツ》を身にまといチェルノブイリを訪れる《アトムスーツ・プロジェクト》を開始。21世紀の幕開けと共に、制作テーマは「リヴァイヴァル」へと移行する。腹話術人形《トらやん》の巨大ロボット、「第五福竜丸」をモチーフとする船《ラッキードラゴン》を制作し、火や水を用いた壮大なパフォーマンスを展開。2011年震災後、希望のモニュメント《サン・チャイルド》を国内外で巡回。『福島ビエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭2013』、『あいちトリエンナーレ2013』に出展。
https://www.yanobe.com/


「タンキング・マシーン-リバース 90年代のヤノベケンジ展」
会期:2021年5月29日〜7月19日
開館時間:10:00〜18:00 月曜休館(最終日の7月19日は開館)
場所:MtK Contemporary Art 京都市左京区岡崎南御所町20-1
https://mtkcontemporaryart.com/

■《サン・チャイルド2012 東京-福島》
ヤノベケンジ Kenji Yanobe(Yanobe Kenji Youtubeより)

 

■<サン・チャイルド ドキュメント2012>
ヤノベケンジ Kenji Yanobe(Yanobe Kenji Youtubeより)