ファッショナブルな生き方

「こんな楽しそうなこと、横で見ているだけなんて! 生まれて初めて感じた衝動でした」

■幻の五輪競技「スキーバレエ」が人生を変えた、小倉博子さん

年齢を重ねるなんて素敵だ。「自分らしく」ファッショナブルなあの人は、いつだって今がいちばん美しい季節の中を生きている。

「幻の五輪競技」と呼ばれるスキーバレエに魅せられて、人生が180度変わった小倉博子さんもそんなひとり。心ときめく瞬間を大切に、日々の創意工夫を喜びとする。そうして好きなことを積み重ねた先に、自分らしい人生の楽しみ方が見えてきた。

■剣道少女だった子供時代

ショートヘアが活発な印象の小倉さんは、かつて剣道少女だった。兄に付いて始めた剣道教室で初めて竹刀を手にして以来、メキメキと頭角を表し、小学5年の時には京都府代表として全国大会に出場。中学生ながら二段を取るほど打ち込んだ。「当時は女子剣道部がそんなになかったから、出場した地元の大会では負けなし、団体戦は全部優勝でした」と懐かしむ。天性の身体能力の高さが垣間見えるエピソードだ。


■会社員から転身、白銀の世界へ

そんな小倉さんがスキーバレエという競技を知ったのは、学生時代に知り合い、後に結婚した夫である慎一さんとの出会いがきっかけだった。スキーバレエは、スピーカーから流れる音楽に合わせて、雪上でスキー板を付けてターンやジャンプを交えたダンスを踊る。一般的な競技スキーと違い、緩やかな斜面を自由にゆったりと滑るのが特徴だ。
冬は信州、夏は当時比叡山にあった人工スキー場と、選手として一年中スキーバレエに打ち込む友人たちを見ているうちに、小倉さんの中に変化が生まれる。
「雪の上の仲間が、すごく楽しそうに見えたんです。なんでこんな楽しそうなことを、自分は横で見ているだけなんやろう、と。本気でスキーバレエをやってみたい、生まれて初めて感じた衝動でした」。反対する安定志向の父親を押し切って23歳で退職、白銀の世界へ飛び込んだ。

■衝動を信じた挑戦

自分が感じた衝動を、全力で信じたい。小倉さんの挑戦が始まった。「スキーなんかして、何になるんや」と反対していた父親だったが、実家に住むことは許してくれた。短期アルバイトを掛け持ちしながら、冬から春は白馬乗鞍のスキー場に滞在。白銀の世界で、どこまでも自分らしいシュプールを描き続けた。
剣道で鳴らした身体能力の高さもあってか、選手生活3年目でナショナルチームのメンバーに選出され、日本開催の世界大会にも2度に渡って出場。クラシックバレエや体操競技から転向し、高難度の技を繰り出す海外選手と競い合った。
スキーバレエでは、曲や技の構成を決めるのは自分自身。「滑り終えた後はいつも、もっとできるんじゃないかと、そればっかり思っていました。創意工夫がつきないところも、この競技の魅力でした」。

■人生の楽しみは自分から

型にはまらない創意工夫が魅力だったスキーバレエ。1992年のアルベールビルオリンピックで公開競技として採用されたが、その自由さゆえに現代スポーツの評価になじまず、惜しくも世界大会の種目から消えた。選手引退後はナショナルチームのコーチも務めた小倉さんは今、京都市北部の京北町で、夫と2人で建てたログハウス暮らしを楽しんでいる。山深い自然に抱かれて、薪ストーブのぬくもりを味わい、愛犬とともに過ごす毎日を慈しむ。

「好きなものに囲まれているのは、気分が良いでしょう。自分の好きな時間を大切に、日々の暮らしを楽しみたいですね」。楽しい時間は、いつだって自分らしい創意工夫から生まれる。小倉さんがスキーバレエから学んだ、確かな人生の真実だ。

(撮影場所協力:浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺)

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