プロ棋士 久保利明さんが明かす将棋のコマかい話

【金将編】攻守のバランスを支える「金」 少年時代に感じた美とロマン

金は前後左右と、左右の斜め前の計6方向に1マスだけ動かすことができる。

対局中の棋士が次の一手を考え込むシーンを見たことがあるだろう。将棋は相手と交互に駒を動かし、敵将を追い詰めていくゲーム。ただ、攻め一辺倒では自陣の守りがおろそかになり、守りに手をかけすぎると攻めが遅れて勝機が遠のく。攻守のバランスを考え抜いた一手が、勝負の行方を決める。

トップ棋士・久保利明さんの攻守のバランスを支える駒が「金将(きんしょう)」、通称「金(きん)」だ。2枚あることから自陣を守る中心的な役割を果たす。攻めるときは「敵将を仕留める駒」。将棋には相手から奪った駒を自分の戦力として使えるルールがある。久保さんは奪った金を温存し、最後の一手に使うことが多い。「トドメは金なんです」。6方向に動ける能力が相手の息の根を止める。

サッカー選手に例えると、体を張った守りでピンチの芽を摘み取り、相手の攻撃を封じ込めるディフェンダーながら、試合終了直前、一気に相手ゴールに迫ったかと思うと、ヘディングシュートをたたき込んで勝負を決める攻めの要といえよう。

対局が始まったときの金の定位置は「王将」の左右。2枚が寄り添うように脇を固める。だが、金をボーッと王将の脇に待機させたままでは万全の守備隊形とはいえない。駒がそれぞれ持つ力と相手の動きを計算し、王将を「囲う」布陣を築く必要があるのだ。

将棋の歴史において先人たちが試行錯誤を繰り返し、お手本となる数多くの布陣を編み出してきた。なかでも久保さんが絶大な信頼を寄せるのが「美濃囲(みのがこ)い」と呼ばれる守備隊形だ。

王将は自陣の隅の方に移動させ、2枚の金はそれぞれ王将とつかず離れず、広い範囲を見張る。「銀将(ぎんしょう)」という駒を巻き込んで、もし誰かが討ち取られても相手を返り討ちにできる位置関係を保ってサポートし合う。「王の周りは金銀3枚」という格言に沿ったバランス抜群の防衛ラインだ。

美濃囲いは、わずか5手で完成する。一手ごとに局面が変わる将棋では「王将をいかにスピーディーに囲うかが勝負です」。でも久保さんがそんな理屈を知ったのは、ずいぶんと後のことだ。

久保さんの美濃囲いとの出会いは少年時代にさかのぼる。「振り飛車名人」の異名を持つ大野源一九段の棋譜を見たとき、「なんて美しい陣形なんだ」と心を奪われた。

「美術館で絵画を見て『美しい』と思うのと同じ感覚。なぜそれが手堅い陣形なのかといった理論的な裏付けはまったくゼロでした」。

数学者が数式を美しいと感じるのと似た感性かもしれない。

久保さんは「きれいな将棋を指したい」という思いで、7歳にして美濃囲いを使った戦術をマスターした。将棋ソフトもネット対局もない時代。休日は父親と一緒に地元・加古川から神戸の将棋道場に通い、平日は自宅で毎日3~4時間、ひとりで将棋盤に向かって駒を動かし、将棋の美とロマンを追い求めた。「美しいと感じた記憶は今もずっと残っています」。

「捌(さば)きのアーティスト」の異名をとる久保さんが美的感覚をくすぐられた原体験。華麗な棋風をまとうプロ棋士への道のりは、この時から約束されていたのかもしれない。

 

ディフェンダーの「金」が強烈なシュート!

(2019年7月10日発行ハンケイ500m vol.50掲載)

■久保利明(くぼ・としあき)
将棋界を代表するトップ棋士のひとり。1975年、兵庫県加古川市生まれ。4歳のころ、将棋に興味を持ち、淡路仁茂九段門下に入門。86年、棋士養成機関の「奨励会」入会。93年、17歳のときにプロ棋士に。駒を華麗に操る棋風から「捌(さば)きのアーティスト」の異名を取る。2015年6月~19年6月まで日本将棋連盟棋士会副会長。「負けが込んだときにも将棋を辞めたいと思ったことは一度もないんです」▽久保利明さん公式ツイッター⇒https://twitter.com/toshiaki_kubo