
「家族で作るこのスタイルが好きだから」
徳川綱吉の時代から続く粟餅店。
粟餅所 澤屋 十三代目 森藤哲良、森藤與八郎、森藤春美、森藤淳平
■「おいしい」のために作りたてを
創業は5代将軍徳川綱吉の時代の天和2年、西暦1682年。北野天満宮の門前にある粟餅所(あわもちどころ)・澤屋。代を数えれば十三代だと、澤屋與惣兵衛(よそべえ)こと森藤哲良(もりふじ・てつろう)さんが教えてくれた。
くるくるっと指先で丸められた餅が、ポイっと宙を飛ぶ。飛ばすのは先代である哲良さんの父・與八郎(よはちろう)さん。餅をあんこにくるむのは、跡継ぎ息子の淳平さん。餅にきなこをかけるのは姉の展代さん。内と外をいったりきたりで切り盛りするのは妻の春美さんだ。「できたてのみずみずしい粟餅を私に食べさせるために、家族5人がかいがいしく働いてくださるのを見ていると、自分がお殿さまにでもなった気分」とは編集長Eの談だ。

■シンプルだから、素材と作り立てを重視
粟でつくった餅は、餅米に較べて硬くなるのが早い、と哲良さん。そのためには作りたてを供するのは絶対条件だ。
「粟は硬くなるもの。もち米と違うんです。だから注文を受けてから、その場でちぎらないといけないんです」。ドスドス……店の奥から粟餅を搗(つ)く音が低く響く。人出が最高潮になるのは毎年2月25日、北野天満宮の梅花祭(ばいかさい)。一日中うすの音が聞こえるほど多忙を極める。
味を変えないのは、老舗にとって大きな課題だ。シンプルな粟餅は、原料そのものの質が勝負。2018年、北海道の水害で十勝平野の小豆が不作になった。また、粟の作り手も減った。戦前は京都近郊でも粟は植えられていたが、今や九州と東北、中国からも厳選して仕入れる。
味を変えないのが課題とは言ったけれど、と哲良さんは続けた。「綱吉の時代、砂糖は貴重品だったから、創業当時の粟餅は甘くなかったはず。砂糖が普及したのは江戸時代の中・後期。その頃に甘くなったのではないかと」。

■代々受け継がれる家族のつながり
高校のときに店を継ぐと決めた哲良さんは、同志社大学商学部に進学した。夏の北海道のアルバイトで感じた肩の軽さは忘れられない。「北海道の大自然に身を置いて、心が晴れやかになりました」。解放感を求めて、休みには一人山登りに出る。
「いつも狭い店にいるから、休みの日ぐらいはアウトドアにいきたいです」。
近年、北野天満宮は界隈にはおしゃれなカフェも増えてきた。でも澤屋は昔ながらの作り方を変えない。百貨店にも出店しない。
「自分たちの目の届くところで粟餅を作りたい。家族で作るこのスタイルが好きだから。昔は当たり前だったけど、古いやり方がめずらしくなってきたみたいね」。
おじいちゃんに連れられて天神さまへお参りにきた少年が、大人になって自分の子と孫を連れて行く。作る側だけではなく食べる側にも家族のつながりがあって、代々受け継がれていく。それこそが澤屋の粟餅がもつ真価なのだろう。
(2020年5月10日発行ハンケイ500mvol.55掲載)

粟餅所 澤屋
▽TEL:0754614517
▽営業時間:9時~17時(売切次第終了)
▽定休:木、毎月26日
最寄りバス停は「北野天満宮前」

