
「夢なんてない。僕は智子さんの夢を借りているから、それでいい」
リスボンと長崎で学んだ、ポルトガル菓子専門店。
カステラ ド パウロ オーナーシェフ パウロ ドゥアルテ
■菓子工場のおっちゃんに頼まれて
あれは、小6の夏休み。「町で一番大きな菓子工場のおっちゃんに『お菓子食べ放題だから手伝わないか』と誘われたのがきっかけ」と流暢な関西弁で喋るパウロさんはポルトガルの首都、リスボン郊外の街アモラで生まれた。5人兄弟の3番目、うかうかしていると朝ごはんも口に入らない家庭環境だった。
「うれしくって、初日にカスタードの乗ったタルトのナタを27個も食べたね」。
筋がよかったのだろう。お菓子作りにのめりこんだ。それから夜から早朝まで働く生活を続け、中学生になると、いよいよ学業との両立が難しくなってきた。パウロ少年は「お金がもらえてお菓子づくりができる」道を選んだ。親には事後報告だった。

■妻との運命の出会い。そして、日本へ
腕が請われて、リスボン周辺のお菓子屋をわたり歩き、各店のレシピに触れた。そんな10代後半に出会ったのが、後の妻で当時22歳だった智子さんだ。
「初めて会った時はびっくりしたよ。だって、カウンターで日本人の女の子が何度もお辞儀していて、何を話しているのかもわからない。でもお菓子作りを教えて欲しいという一途な姿を見て、スタッフたちでオーナーを説得してね」。
毎日、恋文をしたためるという1年半の遠距離恋愛を経て、18歳の時に結婚。それから5年後、初来日の際に日本へのポルトガル人到着450周年の記念イベントで長崎に行ったとき、初めてポルトガルから日本に伝来したカステラを食べ「少ない材料でこれほどまでに完成しているお菓子があるのか」と衝撃を受けた。そのまま現地の老舗「松扇軒(しょうおうけん)」でカステラ作りを学び、帰国後、カステラの里帰りをテーマにした店をリスボン郊外に開店。それが「カステラ ド パウロ」だ。

■お菓子を食べた人の「おいしい」で充分
リスボンの店は人気だったが、5年前、海を越えて北野天満宮の鳥居そばに店を構えた。理由は、「ポルトガルのお菓子を日本の方に食べて欲しい」という智子さんの夢をかなえるためだった。
朝の3時に起き、4時に出勤する生活は今も続いている。
「忙しくて、どうしよう?? と追い込まれるときが一番、楽しいね。僕の夢? 夢なんてない。僕は智子さんの夢を借りているから、それでいい」。
お菓子作りが楽しくても、難しいと感じたことは一度もない。才能があるからといえばそれまでかもしれないが、パウロさんからはプレッシャーというものがまったく感じられない。
「お菓子を食べた誰かの『おいしい』という一言があれば充分」。
日本のカステラも、その原型となったポルトガルのパォンデローも、原料はたったの3種だけ。シンプルな菓子にのめり込んだ男は目の前を大事にする。そのまなざしは少年のときと変わらない。
(2020年5月10日発行ハンケイ500mvol.55掲載)

カステラ ド パウロ
▽TEL:0757480505
▽営業時間:9時半~18時(カフェ~17時)
▽定休:水、第3木(水が25日or祝日の場合は営業、翌日休)
▽カステラ ド パウロ オンラインショップ⇒https://shop.castelladopaulo.com/
最寄りバス停は「北野天満宮前」

