
京都の恵みを生かした福豆で、伝統ある節分行事の継続を支える
■角田潤哉(かくだ・じゅんや)さん
夷川五色豆で知られる老舗「豆政」の5代目当主。京都生まれの京都育ち。大学卒業後、金融機関勤務を経て家業に入る。2001年より父の跡を継いで代表取締役社長に。豆の伝統製法を守りつつ、「豆に親しんでもらいたい」との思いから、若い人や外国人観光客向けの新商品も開発している。
◇
季節が移ろう時期は体調を崩しやすい。いにしえの人々が病魔を鬼として恐れ追い出そうとしたことが、追儺式(ついなしき)に起源を持つ、いわゆる節分行事の始まりとされる。京都では、壬生寺の節分会が900年以上の歴史を持つほか、吉田神社、八坂神社、北野天満宮などで行われ風物詩となっている。こうした寺社の福豆の多くを納入し、節分を支えているのが1884年(明治17年)に創業した「豆政」だ。角田潤哉(かくだ・じゅんや)社長は、節分の意義をこう語る。
「節分の豆まきは、室町時代に宮中で始まり、江戸時代に庶民に広まったといいます。豆は栄養価が高いことから、季節の変わり目に年の数だけ食べるのは理にかなっています」

豆政創業当時の京都は「六波羅(ろくはら)えんどう」でも知られる豆の名産地。また京都は古くから地下水が豊富で、酒造りや豆腐などの食文化を育んできた。この水の恵みを受け、豆政は今日まで福豆をつくり続けている。
核家族やマンション暮らしが増えて、近年は豆まきをしない家庭も増えてきたが、「京都の恵みを生かしたおいしい豆で節分に親しみを持つことは、伝統の継続につながる」。そんな思いから、節分の時期には市内の小学校給食にも個包装で納入している。

「豆まきは祖父母や孫が一緒に楽しめる行事。楽しみながら時代を超えて節分行事を続けてほしい」。
無病息災を願う先人たちの知恵が詰まった伝統の行事、節分。この伝統を、「豆政」は京都の恵みを生かした福豆で支えている。今日も夷川通には、からりと炒った豆の香りが漂う。
(2021年1月10日発行ハンケイ500m vol.59掲載)
<共同編集長コラム>
「無病息災」の四文字が、今年は切実に響きます。節分に鬼の目をめがけて豆を投げるのは、「魔目(まめ)」が「魔滅(まめ)」に通じるからだとか。言葉遊びのようにも思えますが、古くから人々が願い続けてきた、祈りの深さを実感します。節分の伝統を支える豆政の角田さんの言葉通り、祖父母や孫が一緒に楽しめる豆まきは、親から子へ、子から孫へとつないでいく大切な行事です。新型コロナ禍の中、たとえ離れた場所で迎える節分であっても、無病息災を願う思いはひとつ。「鬼は外、福は内」の言葉に願いを込めて、年の数だけ頂く福豆を噛み締めたいです。(龍太郎)
◇
私も力もちです!
京都の恵みをいかし、伝統ある節分行事の継続を支える豆政と同様に、三洋化成は機能性化学品を通じて、暮らしや産業のさまざまな分野を支えています。
三洋化成工業株式会社

