〈プロ棋士 久保利明さんが明かす将棋のコマかい話〉

【飛車編】「相棒」と結ばれた固い絆 「最強棋士」からタイトル奪取

飛車は盤上のマス目をタテとヨコに好きなだけ動かすことができる。

将棋を始めた幼いころ、師匠との対局で大差のハンディをもらいながら敗れた久保利明さん。「もっと強くなりたい」と将棋の道を歩むことを決めた。17歳でプロになり、昇段を重ね、トップ棋士の仲間入りを果たす。

将棋盤をはさんで長時間、1対1で向き合う対局はきっと孤独な戦い。かと思いきや、どうやら久保さんには、頼りになる「相棒」がいるらしい。それは「飛車」という駒。敵の「王将」に狙いを定めるときも、自陣を固めるときも、重要な役割を担う攻守の要だ。

将棋の指し方や手順には、棋士の個性があらわれる。「居飛車(いびしゃ)」と呼ばれる、飛車をじっと定位置に据えたまま、にらみを利かせる戦術を選ぶ棋士も多いが、久保さんが得意なのは飛車を軽快に動かしていく「振り飛車」。その駒さばきの軽快さから、「捌(さば)きのアーティスト」の異名がついた。振り飛車は、まず自陣の守備を固めてから、攻めへと差し向ける。相棒には一手一手、心のなかで話しかける。「きょうも守りから頼むわ」「しばらくその位置で構えててな」「ほな、ぼちぼち攻めていこか」といった感じで。

だが、この戦法は攻めに転じるのがワンテンポ遅れるからか、活用する棋士が減り、廃れそうになった時期がある。そのとき久保さんは心に決めた。伝統のある戦法を途絶えさせちゃいけない。誰も使わないなら、自分が継承者になろうと。「野心家で、人と逆のことをしたがる性格なんです」。大勢が渡る横断歩道をひとりだけ反対方向に歩いているような場面にあこがれる。

飛車の動きに磨きをかけた戦法はやがて、久保さんの代名詞とされる存在となった。飛車という相棒とともにライバルを次々と倒してきた久保さん。プロ棋士になって10数年が過ぎた2010年の春、王将のタイトルをかけて、あの「最強棋士」羽生善治さんに挑んだ。5歳年上の羽生さんとは若手棋士の頃から何度も戦ってきたが、いつもあと一歩のところでタイトル獲得を阻まれていた。

久保さんが3勝2敗とリードして迎えた第6局。勝てばタイトル獲得となる対局の終盤、羽生さんの猛攻を受けて久保さんは追い詰められていた。将棋には相手から取った駒を自分の戦力として使えるという独特のルールがある。さっきまで相棒として攻守に踏ん張ってくれていた飛車が、羽生さんに奪われ、今度は敵となって自分の王将を攻めてきていた。映画の一場面に例えれば、かつての相棒が捕虜となり、こちらに銃口を向けてきたというシーンだろうか。

ちょっと切なくもなる局面。でも、そこはプロ棋士の非情な勝負の世界。久保さんがかつての相棒が突きつけてきた銃口を巧みに一手、二手、三手とかわすと、形勢は一気に久保さんへと傾いた。奇跡的な逆転勝利。その華麗な手順はフィギュアスケートの高難度の3回転ジャンプになぞらえて「トリプルルッツ」と賞賛された。

「羽生さんに勝って、タイトル獲得。今振り返っても大きな自信につながった一戦だったと感じます」。

久保さんの意を受けて、盤上を縦横無尽に動き回る飛車。この相棒との絆を武器に、久保さんはトップ棋士としての地位を固めていく。

孤独な戦い。頼りになる相棒が「飛車」なのだ。

(2019年3月10日発行ハンケイ500m vol.48掲載)

■久保利明(くぼ・としあき)
将棋界を代表するトップ棋士のひとり。1975年、兵庫県加古川市生まれ。4歳のころ、将棋に興味を持ち、淡路仁茂九段門下に入門。86年、棋士養成機関の「奨励会」入会。93年、17歳のときにプロ棋士に。駒を華麗に操る棋風から「捌(さば)きのアーティスト」の異名を取る。2015年6月~19年6月まで日本将棋連盟棋士会副会長。「負けが込んだときにも将棋を辞めたいと思ったことは一度もないんです」▽久保利明さん公式ツイッター⇒https://twitter.com/toshiaki_kubo