〈プロ棋士 久保利明さんが明かす将棋のコマかい話〉

【王将編】師匠がつけた圧倒的ハンディ、たった1枚の「王将」に完敗

王将は置かれたマスの周囲、前後左右斜めの全8方向に1マスずつ動かせる。

一度でもあの五角形の駒で遊んだことがあれば、将棋が「頭脳のバトル」と呼ばれる理由をご存じだろう。将棋はパターンを学ぶ能力や記憶力、先を読む力が求められる。AI(人工知能)と棋士が対戦するのは、頭脳の力をはかるのにふさわしいからだ。

そんな将棋にとことんのめり込んで、プロになった男がいる。久保利明さん、43歳。現在165人いるプロ棋士の最高段位の九段(約31人が所持)のなかから抜きん出て、現在は王将のタイトルを保持。ライバル羽生善治とも盤上で何度も戦う、日本一の頭脳を争う棋士だ。

久保さんが将棋にハマるきっかけになったのは、あるひとつの駒とのかかわりがある。それは「王将」だ。将棋のルールは、王将が追い詰められ、逃げ場がなくなったらゲームオーバー。勝敗を決する駒だ。他の19枚の駒はすべて、王将を守るために存在する。

さかのぼること4歳、幼稚園児のときすでに、久保さんは将棋を教えてくれた父親が相手にならないほどの腕前だった。加古川市から神戸の将棋道場を訪れて、師匠に出会う。

「指してみよう」、そう言って師匠が盤上に駒をずらりと並べた。しかし自陣に並べたのは、たった1枚の王将の駒だけ。そう、師匠は丸裸で、フル装備の自分と戦おうというのだ。戦国時代なら、総大将がたったひとりで刀を構え、20人の兵と武将に立ち向かう状況だ。王将さえ討ち取れば自分の勝ち。久保さんは幼心に「この勝負はもらった! 相手が王将1枚なら、絶対に負けない」と思った。

ところが、対局が始まってすぐ、師匠に歩の駒を取られた。歩はいちばん弱い駒で、「1枚の歩ぐらい、なんてことないや」とタカをくくっていた久保さん。しかし、将棋というゲームの凄みはここにある。将棋は、相手から奪った駒を自分の戦力として使えるのだ。しかも、自分の好きなときに好きな場面で。

久保さんが1枚の歩を取られるたびに、師匠の歩は1枚増えて、戦力の差は縮まっていく。最初は1対20で、19枚の戦力差で始まったハンディが、駒を1枚取られたら19対2で差は17。5枚取られたら15対6で差は11。駒を10枚取られた時点で、戦力は逆転した。

そう気づいたときには、もう遅かった。師匠は獲得した駒を巧みに配置して、さらなる駒を奪っていく。みるみるうちに、久保さんの駒たちは師匠に寝返り、今度は自分を攻めてくる。ついに囲まれ、久保さんは負けた。

まさかの負けに最初は呆然、やがて悔しさがこみ上げてきた。と同時に、「相手から取った駒を自分の駒として使える将棋っておもしろい!」、その醍醐味(だいごみ)に目覚めた。実は、世界の盤上ゲームで、このルールがあるのは将棋だけ。指せる手が天文学的に増えて、ルールが複雑になる。これが「頭脳のバトル」といわれる所以だ。

「今振り返ると、この将棋独特のルールを熟知したプロ棋士に、4歳の子どもがかなうわけがない。でも、そのときは猛烈に悔しかった。もっと強くなりたい、と心から思いました」。

1枚の王将に喫した敗北。ここから久保さんは将棋にのめり込んでいく。

駒1枚vs20枚で師匠と対局した久保さん。「王将」は強かった。

(2019年1月10日発行ハンケイ500m vol.47掲載)

■久保利明(くぼ・としあき)
将棋界を代表するトップ棋士のひとり。1975年、兵庫県加古川市生まれ。4歳のころ、将棋に興味を持ち、淡路仁茂九段門下に入門。86年、棋士養成機関の「奨励会」入会。93年、17歳のときにプロ棋士に、駒を華麗に操る棋風から「捌(さば)きのアーティスト」の異名を取る。2015年6月~19年6月まで日本将棋連盟棋士会副会長。「負けが込んだときにも将棋を辞めたいと思ったことは一度もないんです」▽久保利明さん公式ツイッター⇒https://twitter.com/toshiaki_kubo