〈大人のインターンシップ〉

コロナ後の「読めない未来」のために。科学一辺倒にならない学びと「生きる哲学」

宮野公樹・京都大准教授が語る「大人のインターンシップ」と「学びの本質」(後編)

自分の職業と異なる仕事を体験する「大人のインターンシップ」という取り組みが今年、京都で始まった。文化人や行政、経済界が一体となって「創造する文化 京都から世界へ」をコンセプトに進める「京都文化力プロジェクト」の一環で、京都大学学際融合教育研究推進センターの宮野公樹准教授が企画を担う。前編の「学びの本質」に続き、後編では新型コロナウイルスの時代に即して「学びと生きること」の関係について、宮野先生に話を聞いた。

―前編では学びについてのお話から、思考の殻について、科学的なものの見方や、安直に課題解決を良しとする考えに対して注意深くなることの重要性をお聞きました。

科学を否定しているわけではなく、「科学は万能だ」と思うことを否定しています。つまり「科学」の問題ではなく、科学とともに生きる我々人間の「精神」の問題です。
現代を生きる我々はつい精神もまた物や機械と同じように考えがちです。例えば、昨今、医学的、神経物理学的な脳科学が盛んですが、そもそものところである「脳を解明すれば精神が分かる」といった前提を疑うことはほとんどなされません。科学的なものの考え方があまりに支配的になり、それ以外の方法、しいていうなら例えば、物語や詩、芸術といった人文学的なものの捉え方、深め方についてはもはやなかなか思い出せなくなっています。曖昧なものを許すことができず、分析ばかりして全体的に受容することができず、論理や証拠で示されることがより優位であるとし、何もかもを計測可能な数字で置き換えようとする…。このあたりの指摘は昨今多くの知識人が声を大にしていっていることだと思いますが、現状のシステムが大きく変わる気配は見受けられません。

―今回の新型コロナウイルスで、私たちは「死」を突然に突きつけられています。宮野先生は現在の状況をどう思われますか?

いま、各専門家、研究者が必死にがんばっておられて、本当に頭が下がります。いわゆる人文系で哲学に近いような学者としてできることは少ないですが、しいて「学問」の側からこのパンデミックという事態がどう映るのかについてお話しすることが有益と考えるなら、という前提で話します。
冷淡すぎると思いつつもあっさりと言いますが、この事態がどう映るも何も、「新型コロナウイルスのようなことも起こりうる」の一言です。これは、長い歴史を見ればスペイン風邪のような事実もあった、という実経験の紹介を意味するのではありません。世界的パンデミックに限ったことではなく、有史以来、人間が未来を「読めた」ことなど一度たりともありません。なぜだかわかりませんが一方向にしか流れないこの時間なるものにおいて、未来予測など原理的に不可能なことです。
したがって、突然「死」を突きつけられたとおっしゃいますが、そもそも死というものは生の裏返し。考え詰めれば生も死もない、というのが哲学の一つの到達点であり、残るのはただ「在る」という事実のみ。禅語でいうところの「今ここ私(即今、当処、自己=そっこん、とうしょ、じこ)」です。だから、死に対して「突然」という感覚を持つほうが異常、とも言えるのです。
そうして、「日常」というものが正しく疑われた精神にとっては、その「日常」こそが最も驚くべきこととなります。言うなれば、明日、宇宙人が攻めてきたとしても、そんなことはなんでもないことです。宇宙はこんなに広いのです。なにが起こっても不思議ではありません。

―世間ではポスト・コロナ、アフター・コロナという言葉がよく聞かれます。そういった対処や対応とは全然違う次元の話で驚きました。

もう少し続けましょう。先ほど述べた、「この『日常』こそが最も驚くべきこと」というのは、「当たり前の日常に感謝せよ」という価値観の話ではなく、そもそも日常というものが存在することへの根源的な謎のことです。なぜ「在る」のか……今自分が存在すること、それ以上に驚くことがあるでしょうか。気づいたら「自分」というものがいたのですよ。広大な宇宙の中において、その宇宙そのものを自覚するこの意識(自分)ってなんだろう、なんなのだろう?
この観点から現状を見つめるなら、また違った想いでこの事態を受け止めることができるのではないでしょうか。

―なんだか1周回って、前編で触れた学びと人生の話に戻ってきた感じもあります。

そのとおりですね。結局のところ、学ぶとは自分すなわち世界に対する解釈の更新であり、学問とは不可知への構えのことだからです。
どのような学術分野であれ、どのような業種であれ、正しく考えるなら、つまり、「考えるを考える」という考えをもってことにあたるなら、枝葉の課題解決に勤しむことにはなりません。幹の部分、すなわち本分として生きることができるでしょう。

―その考え方は、前編でお話しいただいた「大人のインターンシップ」につながっているんですね。

はい。どのような業種にも大切なこと、ほんとうのことは存在し、それは共通するように思います。それを知識だけなく身体で得る。それは間違いなく、ほんとうの学びであり、文化的な営みでもあると思えます。
きっとそれは、これまでの自分自身の人生を肯定することにもつながるはずです。言うまでもありませんが、人生に勝ち負けというものはありません。現代は経済的価値が優位ですが、裕福になったからといって幸福とは限らないというのは、我々の実体験から肌で感じていることでしょう。外見、見た目が良ければ幸せ、というのもしかりです。
では、幸福とは何でしょうか。もっと言うと、「あなたの幸せ」とは何でしょうか。あえて断言すると、幸せとは考えて得るものです。前回と今回をここまで読んで頂いた方には伝わるかと思いますが、考えるとは別に机にかじりついてウンウン唸ることではなく、哲学を教わることでも、書籍を読むことでなく、言うなればそれらすべてを含めたところの「生きる」ことそのものです。生きていることを生きる。その根源に対する自分自身の納得と自覚、それがいかほどものかということがそのままその人の人生のありよう、それを幸福と言ってもいいですが、それにつながります。(終わり)

■宮野公樹
京都大学学際融合教育研究推進センター准教授。学問論、大学論、(かつては金属組織学、ナノテクノロジー)。96年立命館大卒業後、カナダMcMaster大学、立命館大,九州大学を経て2011年より現職。総長学事補佐、文部科学省学術調査官の業務経験も。現在、国際高等研究所客員研究員も兼任する他、日本触覚学会特別顧問、日本イノベーション学会理事(非常任)。1997年南部陽一郎研究奨励賞、2008年日本金属学会若手論文賞、他多数。2019年所属組織の事業が内閣府主催第一回日本イノベーション大賞にて「選考委員会選定優良事例」に選出。近著「学問からの手紙―時代に流されない思考―」(小学館)は2019年京大生協にて一般書売上第一位。

◆参加申込やイベント詳細など詳しくは、京都文化力プロジェクト 大人のインターンシップ特設サイト⇒
https://www.cpier.info/bunkakoukan/