〈大人のインターンシップ〉

今流行りの「課題解決」は本当に善なのか? 現代人の思考の殻を破るヒント

宮野公樹・京都大准教授が語る「大人のインターンシップ」と「学びの本質」(前編)

自分の職業と異なる仕事を体験する「大人のインターンシップ」という取り組みが今年、京都で始まった。文化人や行政、経済界が一体となって「創造する文化 京都から世界へ」をコンセプトに進める「京都文化力プロジェクト」の一環で、京都大学学際融合教育研究推進センターの宮野公樹准教授が企画を担う。そのねらいについて、宮野先生に話を聞いた。

―「大人のインターンシップ」では、今の自分と異なる仕事を体験し、職業を交換するということですが、ねらいは何ですか?

企画の背景に、文化というものをどう理解するか、というテーマがあります。茶道や華道などいわゆる伝統文化のみが文化にあらず。我々の日常の暮らしにこそ、目に見えない形で文化は潜んでいます。だとすれば、『京都文化力プロジェクト』がコンセプトに掲げる文化の創造、強化とは、我々の「暮らし」に目を向け、それを再評価することでもある。我々自身の暮らしを見直すことで、これまで気づいていなかった文化の存在を感じる。それこそ、本当の文化力の強化であり、言うなれば「学び」に近いものだと考えています。
考えてみれば、能や茶道などの日本の伝統文化も、かつての暮らしに完全に根付いた、いわば当時のポップカルチャーだった面があります。学問の町、学びの都市である京都だからこそ、そのような文化と学びをかけ合わせた事業と相性がいいと考えました。

―京都には数多くの大学がありますが、大学での学びと、大人のインターンシップの学びは、何が違うのでしょう?

学ぶ=「知識を脳に入れること」だと思っている人が多いですが、それは本当の学びではありません。知識を得るのは、そもそも何のためでしょうか? そういうふうに「そもそも」を深く考えていくと、学ぶとは、つまるところ「自分を知ること」となります。自分を知るとは、我が身を振り返り、それまで気づいていなかった自分に気づくことです。
大学での学び、学問とは、この人間、この社会、この時代、この世界、この宇宙における「ほんとうのこと」を学び、そうして獲得する悠久なる視点によって自分自身を振り返るものですが、この『大人のインターンシップ』では、自分を振り返るために、実際に働き暮らす市井の人たちの実体験、異なる生き方、他の仕事を体験して、違う見方で自分のこれまでを見てみる、というのがねらいです。
したがって、『大人のインターンシップ』で大事なのは、単なる職業体験ではなく、その仕事の苦労や苦悩も含めたところまで「生き方」として実感することです。それこそが、本質的な学びなのだと考えます。

―「自分を知ること」が学びの本質だとすれば、学問とは何なのでしょうか? 真理の探求ではないのでしょうか?

真理というと何か「E=mc2(mcの2乗)」のような、何やら確固たる法則のようなイメージを持ってしまいがちですが、そうではありません。例えば、「真理などない、という真理」もありうるわけでしょう? この世の何もかもを説明しうるような「答え」が存在すると信じ、それを探すような営みは、別に学問ではないです。いや、もっと正確にいうなら、その研究がまだ開始して間もない状態か、あるいはいまだ成熟してないかのどちらかでしょう。
先に話したこの人間、この社会、この時代、この世界、この宇宙における「ほんとうのこと」。それは真理というより謎という言葉が適切だと思います。いったいなぜ、いったいどうして、この世はこうなのか…。結局、我々は我々が見たいようにしか世界を見られないので、唐突に感じることを承知で言いますが、どう考えても世界とは自分の内側にあり、この世を知ることは、そっくりそのまま自分を知ること、となります。何を学んでもいきつくところは「自分」、という原理なのです。

―わかるような、わからないような。哲学的ですね。

別の角度から話すと、我々は生まれ育った時代の時代感覚、時代的通念から抜出すことはなかなかできません。現代における典型的な時代的通念のひとつに、科学的な仕方で考えるという思考の性質、いうならクセがあります。これは思考の殻と呼んでもいいでしょう。
たとえば、「○○の謎が解明された!」という記事の見出しを目にしたとしましょう。その本文に何かしら科学的研究の結果があるだろうと想定してしまいませんか?
エネルギー問題は科学技術が発展すれば解決されると思っている。難病も医療技術が進展していつか治るようになると思っている。このように、科学というものは答えを掲示してくれるものであり、ひいては、科学技術がきっと何でも解決してくれる……現代に生まれ育った私たちは、そのように思いがちなのです。
言うなれば、こういった思考の殻に気づいてそれを自覚すれば、今という「時代」を意識することができ、それに強く影響されている「自分」を自覚することができる。これは、「自分の中に自分を見つめるもう一つの視線を持つ」ということです。そうすれば、より本当の自分に近づくことができるのではないでしょうか。誰しも偽物や上っ面の自分より本当の自分でありたいと思うものでしょう? 本当の自分に近づけばより充実した時間を生きられるのではないでしょうか。これが「学ぶ」ということなのです。

―なるほど、「本当の自分」という言葉は響きます。他にも典型的な現代の思考の殻はありますか。

典型的な思考の殻の例としてすぐに思いつくのは、「課題解決」という単語です。今日、とにかく課題解決=善という考えがまかり通っています。もちろん、都合が悪かったことを都合よくするというのは、いいことですよ。しかしその一方で安直さを感じませんか? 本当にそのとらえ方に疑問をもたなくてよいのでしょうか?
課題解決=善という考えには「その問題を解決したらどうなるのか」「そもそもその問題は本当の問題なのか」という問いがごっそり抜け落ちています。そもそものところで「課題解決とはなにか」を考えないから、どうしても付け焼き刃の対応、枝葉の対応にならざるを得ない。結果、とある問題は解決してもまた次の問題が生じるという状態が起こる。そうすると、ますます忙しくなるでしょう。そうなると、本当に大事なこと、すなわちそもそも論を横置きすることに拍車がかかります。今、さまざまな組織が抱える問題の性質が似通っているのはこの理由によると思っています。

―それはたとえば、どのような問題ですか。

たとえば、イノベーション。多くの組織から「イノベーションが大事、変革が必要」という声を聞きます。今日的には、よく「イノベーションは異なるものの組み合わせから生まれる」という言い方をされますが、私は違和感を覚えます。
むしろ先ほど話したように、この世そして自分という存在を見つめるもう一つの目を持ち、そもそもの領域にてこの時代、この世、この自分を深く思考することがイノベーションを生み出す土壌や文化を育むことにつながります。結果、イノベーションが生じるのだと思っています。(【後編】コロナ後の「読めない未来」のために。科学一辺倒にならない学びと「生きる哲学」に続く)

■宮野公樹
京都大学学際融合教育研究推進センター准教授。学問論、大学論、(かつては金属組織学、ナノテクノロジー)。1996年立命館大卒業後、カナダMcMaster大学、立命館大,九州大学を経て2011年より現職。総長学事補佐、文部科学省学術調査官の業務経験も。現在、国際高等研究所客員研究員も兼任する他、日本触覚学会特別顧問、日本イノベーション学会理事(非常任)。1997年南部陽一郎研究奨励賞、2008年日本金属学会若手論文賞、他多数。2019年所属組織の事業が内閣府主催第1回日本イノベーション大賞にて「選考委員会選定優良事例」に選出。近著「学問からの手紙―時代に流されない思考―」(小学館)は2019年京大生協にて一般書売上第1位。

◆参加申込やイベント詳細など詳しくは、京都文化力プロジェクト 大人のインターンシップ特設サイト⇒
https://www.cpier.info/bunkakoukan/