〈祇園祭を支える職人の技〉

「蔵の扉を閉める時は、心の底からほっとする瞬間です」

見えない部分まで美しく、
口伝えで伝承する山建ての技と心
北観音山作事方 笠原清美さん、上田耕太郎さん

江戸時代に建てられた蔵を移築したという北観音山の収蔵庫。扉を引き開けると、ひっそりとした薄明かりの中に胴組柱や車輪をはじめ、山の部材が整然と収まっている。山建ての中心を担う作事方として、約半世紀に渡って携わる笠原清美さん(71)は「年一回の祇園祭、50年でも50回しか経験できない。毎年の山建ては、ただただ楽しい時間です」と目を細める。

笠原清美さん(左)と上田耕太郎さん(右)=撮影/井上成哉

笠原さんが初めて山の部材を手にしたのは、16歳の時。見よう見まねでやり方を覚え、「少ないときは10人で蔵から出して、組み建てたこともある」。父の跡を襲い、今では北観音山の作事方を率いる笠原さん。「山の部材の数は数えたことがない」というが、ざっと見回しただけでも数百点はあるだろうか。これだけの部材を1日で仕上げるというから大仕事だ。「巡行を終えた山を解体し、元通りに戻して蔵の扉を閉める時は、『今年も無事に出来た』と、心の底からほっとする瞬間です」と明かす。

現在は30代から70代まで約30人が作事方を担う。笠原さんの娘の夫で、結婚を機に17年前に加わった上田耕太郎さん(45)は「縄の結び方ひとつにも、毎回発見があります。年長の作事方が、男結びできっちり縄を締める手付きを見て『なるほど、そうやるんや』と。毎年教わるところがあります」と話す。

山建ての手順は、全て口伝えで受け継がれてきた(写真提供/六角会)

山建てに説明書はない。手順は全て、作事方が口伝えで伝承してきた。上田さんが「カリスマ」と呼ぶ笠原さんの信条は「口は出すけど、手は出さない」。山鉾の組み立ては釘を一切使わず、わら縄だけで部材を固定する「縄がらみ」と呼ばれる独特の手法を用いる。固く締め上げる箇所もあれば、巡行で動くことを踏まえて、あえて遊びを持たせる部分もある。長年の経験で培った感覚だけが頼りだ。笠原さんは「教えるということほど、難しいことはない。自分でやった方が早いけど、それでは次の世代に伝えていけない。我慢して、出すのは口だけ」と笑う。

縄の結び方ひとつにも、作事方の技が光る(写真提供/六角会)

笠原さんが「期待の第三世代」と評する上田さんは、二級建築士の資格を持つ大工でもある。「ゆっくり丁寧は、誰でも出来る。懸装品の下に隠れて表からは見えないですが、蝶の形に仕上げる縄の結びの見た目まで、美しく。早く丁寧に、そして、なお美しく、を追求したいです」と、どこまでもひたむきだ。

世代を超えて受け継がれる技と、祇園祭への思い。次の夏こそ、笠原さんや上田さんたち作事方の木づちの音が、一層晴れやかに響くに違いない。

夏の京都を彩る祇園祭。今年は新型コロナウイルスの影響で、神輿渡御は74年ぶり、山鉾巡行は58年ぶりに中止となりました。平安時代、各地で流行した疫病を鎮めるための御霊会を起源とする祇園祭は、千百年を超えて、京都の人々が守り伝えてきました。その歴史は、裏方として支える人々の情熱の蓄積でもあります。祇園祭を、次へとつないでいくために。今、伝統を受け継ぐ職人たちの言葉が紡ぐ、祇園祭の夏が始まります。

〈文/龍太郎〉

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