〈祇園祭を支える職人の技〉

「祇園祭の幕の中に、深い世界があります」

刺繍の技で、時代を超えて懸装品を蘇らせる
繍匠 樹田紅陽さん


祇園祭・前祭の山鉾巡行で最後尾を行く船鉾。船鉾を飾る懸装品の中でもとりわけ華やかな「水引」と呼ばれる幕を、卓越した刺繍の技で現代に蘇らせたのが樹田紅陽さん(72)だ。明治期から続く刺繍業の家に生まれ、大学では油絵を学んだ。卒業後、オランダ船を題材にした父の刺繍作品を見て「糸を使って、自由自在に深い表現ができる」と改めて刺繍の魅力に気付き、以来、針と糸の道を究めてきた。「作品の持っている芸術性、テクスチャーを再現するためには、当時の職人が何を思って作り上げたのか、自分なりに解釈することが大切です」と語る。

樹田紅陽さん(撮影/井上成哉)

製作された時代の技術を用いる復元新調は、まず実物を徹底的に観察する。刺繍に使われている糸のよりや細部の繍(ぬいとり)の違いなど、当時の職人の息遣いを感じ取るほどに時間をかけて作品と向き合う。1834(天保5)年に作られた船鉾艫櫓(ともやぐら)の下水引の復元新調を手がけた時は、「色が抜け、ぼろぼろに傷んでいた表の糸をピンセットでめくると、赤い色がぱっと目に飛び込んできた。裏側に、元の糸の色が残っていたんです。思わず、どきっとしました」と振り返る。

樹田さんが復元新調を手掛けた船鉾艫櫓の下水引(上)と、1834(天保5)年製の実物(2019年7月3日撮影)

船鉾の下水引はデザインの基となる図起こしから、刺繍、仕上げまで全ての工程を担った。赤い羅紗地に一対の麒麟、その間で絢爛な色使いの鳳凰が大きく羽を広げている。「自分だったらこうする、と思う時もあります。けれども、合理的なことをしてはいけない。素直に、同じ技を用いてこそ、過去と通じる『品』というものが表現できるのです」。伝統的な刺繍の技を体得する一方で、現代的な意匠を取り入れた飾り箱なども手がける樹田さんならではの解釈が、ひと針ごとに込められた職人の技と情熱を引き受け、新たな作品へと宿らせる。

立体感のある鳳凰の刺繍。目にはガラス玉がはめ込まれ、一層の生命力を感じさせる

「染でも織でもなく、刺繍だからこそ表現できるテクスチャーがある」と樹田さんはいう。毎年、祇園祭の時期は山鉾町を訪れ、時代の職人が精魂込めた刺繍に彩られた幕を見て歩く。「幕を通して、祇園祭全体のエネルギーを受ける。毎年、記憶以上の感動があります。祇園祭の幕の中に、深い世界があります」。刺繍による復元新調という仕事を通し、時を超えて歴史を紡ぐ祇園祭を支えている。


夏の京都を彩る祇園祭。今年は新型コロナウイルスの影響で、神輿渡御は74年ぶり、山鉾巡行は58年ぶりに中止となりました。平安時代、各地で流行した疫病を鎮めるための御霊会を起源とする祇園祭は、千百年を超えて、京都の人々が守り伝えてきました。その歴史は、裏方として支える人々の情熱の蓄積でもあります。祇園祭を、次へとつないでいくために。今、伝統を受け継ぐ職人たちの言葉が紡ぐ、祇園祭の夏が始まります。

〈文/龍太郎〉

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